聾 浩の教室 聾
−掠-mode版−

歷轢マニュアル

 埼玉県の高校生とと中央大学学生とが変なところでつながっている。県も大学も慌てている様子。例の大麻騒動(2004年夏の事件)である。

 この事件とほぼ時を同じくして、埼玉県では「ほめ方・叱り方マニュアル」を作成し、教員に配布するという発表があった。どうもなんでもマニュアル化すれば、生徒指導はなんとかなると考えているようである。マニュアルは“無いにこしたことはない”ぐらいのものであって、ほめ方や叱り方なんぞは個々の教員の自覚と力量によるものであろう。いちいちマニュアルのままに生徒と付き合うのは、教員のロボット化といえよう。

 こうしたマニュアルが出てくる背景にはなにがあるのか。それはいうまでもなく、教員の体罰・懲戒の問題である。ちょっと児童生徒の頭を叩けば学校や教育委員会の電話が鳴り響く。腫れ物に触るように児童生徒を扱わなければならなくなれば、教員は生徒指導などやってられない。それが本音ではないか。何人もの現役の先生方とワタクシは付き合っているけれども、児童生徒に思いあまって手をあげてしまった話も聞く。教育的愛情の裏返しなのであるが、そうした教員の心は保護者に無縁になってきている。体罰と懲戒の線引きはその判断が難しく、法廷の場で争われたこともある。

 たとえ手をあげたとしても、集団生活における規律、秩序の乱れを防ぐケースや人権や他人の学習権を侵害する行為、怠学に対する戒めなどの際の「体罰」は暴力ではないのではないか。そうしたことも再考して、学校教育法11条に抵触しないよう、「特例」的に改正できないものだろうか。その改正根拠を「マナー」に求めるのである。たとえば、授業中であっても児童生徒は用を足すために教室から出ていける。行かせないと体罰になる。不思議なことであるが現実である。一般社会における会議などではありえない話である。

 学校が社会人として通用する人格を育成する場であるとすれば、こんな当たり前の態度を「マナー」として教えるべきであろう。しかし、ここにいたっても、「マナー」を教えるのに「手をあげてよいのか」という問題が発生する。永遠の循環。こうした「しつけ」系の問題解消を完璧になす方法がある。

 公立学校の廃止である。義務教育を私学が完全に担当すれば、特別権力関係下に児童生徒は置かれることになるからである。ただこれは一足飛びに過ぎる。そこで地域運営学校の出番となる。地域運営学校の試みは、単に経済的な問題解決だけの便法にするのではなく、たとえば埼玉県の抱えているような生徒指導の課題を乗り越えられるようなモデルとなるよう願うばかりである。


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