聾 浩の教室 聾
−掠-mode版−

憐背後霊

 いつのまにか「お持ち帰り」などと品のない言葉が街を席巻している。その昔半額でハンバーガーの在庫整理にいそしんでいた全国チェーン店でよく聞かれたセリフである。何の目的でお金が必要なのかわからないけれど、アルバイターが客にそう聞くのはまだいい。義務だからである。普通である。

 ジャンクにはジャンクなコトバが似合うわけかと妙な一致点を見出さざるをえないが、買う客の方が「お持ち帰りで」とぬかす頻度が多くなるにつれて、こうした店にいくワタクシの回数は減った。注文の背後からそんな言葉を聞くのはウンザリである。こんなふうだから、欧州流のカフェ文化が根付くはずがない。

 頻りに足を組替えながらアイスコーヒーを飲む女性がいる。ちらちら見るのはワタクシの胸中の隅の隅のまた隅に内蔵された儒教道徳が許可しないので、馬蹄型をした小銭用の財布を見つめることに神経を集中した。気になるのだろう、と天から声がしたかと思えば、その店の壁にワタクシの守護霊が浮き上がってきた。しかしその動きはすばしっこい。見ようと思えば隠れてしまう。親から一人立ちしてすぐの子猫のような逃げ足である。両手ではっしと捉えてじっと見ることのできる霊ではない。アイスコーヒーは氷だけになっていた。ストローの透明の包装が縮れていて置き去りにされていた。ワタクシの注文品はまだできない。

 霊の顔を追う代わりにタバコに手を伸ばそうとしている一人の男性の顔を掴まえた。小銭入れから再び目を移すとその先が赤い。胸の奥の肺胞の隅々にまでタールが行き届いているのに、吐いた煙をうるさい子どもを追っ払うかのように周囲へ逃がしている。手で煙を追い払うそのさまは、立ち読みを注意する昔懐かしい年老いた店主のようでもある。胸の中には、工事中の黄色い立看板が方々にあるにちがいない。そこかしこを黒ずませるミクロの作業人を飼っている。湯水のように税金を公共事業へ投入する方がまだましと思わせるほどの吸いっぷりだ。掘っては埋め、計画しては凍結する。だが黒々とした胸中を元に戻す方が困難であろう。紙幣に火をつけているとの自覚がなさそうな男性である。赤色灯の点滅している肺が透けて見える。自分を鏡に映しているかのようである。その煙が店内に充満しきった頃合に注文品が手渡された。目抜き通りに出ると窒息しそうな感覚がなくなると期待していたとおり、爽快である。霊ともにらめっこしなくて済む。それ見ろ投影すべき壁のない通りではたちどころに消えている。

 女性が足を頻りに組替え、男性が煙を無造作に追い払って堂々としているのは、守護霊の種類が違うからだろうと腑に落ちた。「お持ち帰りで」と平然といわせる背後霊は、大枚をはたいてでもお払いの儀式を敢行し、張り付かれないようにする腹積もりである。
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