聾 浩の教室 聾
−掠-mode版−

力久々の映画

 デカプリオにギャングは似合わない。それに比べてどうだ、敵役の俳優は、悪役にぴったりだった。恐怖が背中からたちこめるような、鬼気迫るあらくれものを演技していた。『ギャング・オブ・ニューヨーク』の冒頭は、少年時代のデカプリオの記憶からはじまるが、そこでの格闘シーンは、雪のつもった地面を鮮血で赤く染める演出である。デカプリオの父がこの敵役に刺し殺されるシーンである。

 興味があるのは、こちら、敵役のほうである。デカプリオは眼中にない。敵役は黒目の代わりに鷲の彫刻が施された義眼を持つ。ナイフの達人が役中設定だから、カッティング・ビルと呼ばれる。そのナイフさばきがそこかしこのシーンで存分に披露されている。ビカレスクである。いうことを聞かない相手に容赦しない。その舌を引っこ抜き、その腕を落とす。

 つまるところニューヨークの顔役。実力者。逆らうものはいない。彼はネイティブの誇りを持てといい、ややもすればアメリカを建国した自分の父を自慢げに語り、アメリカ人として死ぬことを念願している。移民を嫌い、排斥しようとする思想の持ち主である。

 19世紀のいわゆる古きよき時代が時代背景である。南北戦争当時のアメリカは、この映画に描かれたような悲惨な時代だったのだろうか。なるほど黒人差別が尋常でなかったし、移民排斥もひどかったであろう。しかし、アウトローが政治家と結託し、街を完全に牛耳るほど暗黒であったかどうか。良心も生きていたと思いたい。

 しかし、こうした描写が真実に近いなら、アメリカの精神は開拓精神という名の無法かもしれない。いまでもそうなのであろう。映画の最終シーンにWTCが映されていた。ニューヨークはまた無法をもとめるのだろうか。良心も生きていると思いたい。

Jan.17,2003・阪神大震災を忘るることなかれ・浩


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