コラムとしての
過去問研究

2001年12月27日

学校評議員制度が導入される趣旨について簡潔に説明せよ。

 今年も様々な事件がありましたが、教員をめざすものにとって、なんといっても忘れられない事件は池田小学校の殺傷事件でしょうね。遅ればせながら、ご冥福をお祈りいたします。この事件以来、各学校現場は緊張感につつまれ、あの手この手の策を学校の警備にめぐらした感があるんです。警備員の増員、監視カメラ、IDカード、緊急連絡ボタンの増設、さらには、対抗手段として、教室内における武器の設置も議論された・・・。過剰警備というと叱られるかもしれないけれど、ちょっとぎすぎすしたんだね。たしかに犯人に対する最近の取調べからわかったことでは、「どこかほかの女子高を襲撃することも考えていた」というのだから、警備に力を入れなければならないことは理解しているつもりであります。

 このとき問題になったのが、「開かれた学校」というものの中身ですね。「開かれた学校」というのは、従来、閉鎖的であった学校をみえるようにしていくということだったんだ。たしかに学校は、外からみてると何をやっているのか今ひとつわからないところがあった。どんな話し合いで修学旅行の行き先が決まったのだろうとか、なんで授業参観が1日だけなんだろうとか、誰が決めたんといいたくなるようなこともたくさんあるよね。月曜休みの散髪屋さんの子どもは、悲しい思いをしたかもしれないよね。授業参観1週間やったらいいじゃんか。学校は大変だけど、「開かれ」ることは間違いない。ここでは2例だけあげたけど、各学校は教育課程の編成の在り方について説明する義務が出てきた。アカウンタビリティというやつやね。このような学校内部の情報を開示することは、「開かれた学校」を推進する手段のひとつだといえるでしょうね。

 「開かれた学校」ということを考えていくとき、もうひとつ浮かびあがるのは、実際に人の自由な行き来を許可して、学校と地域社会とが密接に手を組んでいくということ。これが「開かれた学校」の理念に合った現実的政策であるはずだったんだ。こうした開放的な動向で教育界は推移していたとワタクシは思ってんだけど、ここに、池田小の事件が起こった。もちろん危機管理はしっかりとやらなければならん。しかし、「人の自由な行き来」は夢のまた夢となっちゃった。地域社会の、つまり近所のおじいちゃんやおばあちゃん、お父さんお母さんが自由に学校の中に入っていって児童生徒と話をしたり運動をしたりする、これが物理的な意味での「開かれた学校」なんだよね。運動会をしている際に、お年よりの方々も参加する、応援する、それがひょっとすれば地域の教育力の復興を握る鍵なのかもしれないよね。こうしたことをまた一から積み上げていかないといけなくなった。あの事件の衝撃は大きいといわんといかんな。また、廊下や教室の壁を取っ払って自由な雰囲気にする、オープンスクールなんていう教育環境整備はおおきな打撃を受けたと思うのですわ。

 そこで、今にもまして重要な役割をもつのが学校評議員といえるでしょう。学校のいわばスポークスマンとなる。地域社会の学校への要望をすくいとる。そうした学校と地域との間に立ち、緩衝装置としての働きをするのが学校評議員でしょう。「開かれた学校」の水先案内人がこの評議員です!鳥取(2002年度)のほうではその設置が進んでいるのでしょうか。また、人選について、校長推薦はいいとしても、たんにPTAの横滑りでないよう期待します。

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2001年12月25日

次の法律の条文は、語群のどれにあてはまるか、記号で答えよ。

(1)学校の設置者は、伝染病予防上必要があるときは、臨時に、学校の全部又は一部の休業を行うことができる。
(2)すべての職員は、全体の奉仕者として公共に利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。
(3)すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
(4)教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。
(5)教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負つて行われるべきものである。

( 語群 )
ア 日本国憲法  イ 教育基本法  ウ 学校教育法  エ 地方公務員法
オ 教育公務員特例法  カ 学校保健法  キ 学校給食法

 仕事柄、数多くの教育論作文を読んできているのだけど、とても気になるというか、困るというか、そういう論作文に御目にかかるときがあるんです。それは何かというと、研修についてなんですわ。どのような論作文が出されても、たいてい結論部分は、「研究と修養に努めたい」などとお茶を濁した表現で締めくくっている場合が多いのですね。これが困るのです。実際、どんな研究をするのか、どういうふうに修養をつむのか、ここを考えてもらわなければ、たんに研修(「研究」+「修養」=「研修」)に励むでは、何がしたいのか採点官に伝わらないのですわ。

 だから、論作文の締めくくりには、「こうこうこういうふうな研修に私は励むつもりです」と具体的に書いてほしいのですわ。そうじゃないと、「いったい、この受験生はどういう研修がしたいのやろ」と採点官にかんぐられないともかぎりませんね。だから研修のことを書くのは勇気がいるし、しっかりその内容を考えてないと書けないもんなんです。ワタクシがいいたいのは、教育論作文に美辞麗句はいらない、あるいはステレオタイプの表現はいらないということ。そうではなくて、本音で勝負せよということですわ。

 教育公務員だからこそ、授業に差し障りのない範囲で、本属長つまり校長の許可を得て、長期、短期の研修に参加することができるのですな。教育公務員の任命権者たる教育委員会は、研修のための施設を整備する責任があるし、研修計画を立てる責任があるわけですねえ。とすると、どんな研修がしたいのか、どういう効果があってそれを望むのかとか、受験生も考える必要があるといえるでしょう。長期に研修を受けられるなんて、本当に教員とは有難い存在ですわ。三重県(2002年度)は手厚く研修計画を立ててくれるのでしょうな。でも、なんで研修が必要になるのかな。教員を何年も続けていると、必ず自分の教育的な資質をみつめ直すときがくるし、知識が枯渇してくることを実感するときがくるもんなのです。そんなときに国内留学として大学院にいって、たとえば1年間も研修できるとすれば、幸せいっぱいてなもんです。

 たんに公務員といわず、教育公務員といい、地方公務員法の定めのほか、教育公務員特例法として、特例扱いで研修が行なえる。教員とは、なんと優遇された身分であることか。教員になった暁には、有意義な研修をつみましょうね。

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2001年12月20日

次の文章を読んで、13、14の問いに答えなさい。

 文部科学省は、2001年を「( ア )元年」と位置づけ、平成13年1月25日に教育改革推進本部において「21世紀( ア )プラン」を決定した。
 この( ア )プランは、内閣総理大臣の下に置かれた「( イ )」最終報告を踏まえ、今後の教育改革の取組の全体像を示すものとして、「( ウ )が良くなる、( エ )が変わる」ための具体的な施策・課題及びこれらを実行するための具体的なタイムスケジュールを明らかにしている。
 また、このプランの内容をわかりやすく説明したものとして「レインボープラン」がまとめられ、7つの重点戦略を掲げている。

 13 文章中の( ア )〜( エ )にあてはまる語の組み合わせを一つ選びなさい。
 @ あ 教育新生 い 教育改革国民会議 う 子ども え 学校
 A あ 教育改革 い 中央教育審議会 う 子ども え 教育
 B あ 教育新生 い 中央教育審議会 う 学校 え 教育
 C あ 教育改革 い 教育改革国民会議 う 子ども え 学校
 D あ 教育新生 い 教育改革国民会議 う 学校 え 教育
 

 12月4日のところでも触れましたが、教育改革国民会議と臨時教育審議会は内閣総理大臣直属の審議会でしたね。前者は私的な審議会、後者は公的な審議会でしたね。だからその影響力も当然ながら公的なほうが大きいはずだし、私的なものは法律に依頼して作られたんじゃないから、無視してもよいはずなんだな。ところが、つい最近の諮問、「教育基本法変えようよ」との遠山あっこちゃんの中教審への質問は、教育改革国民会議の提言をもろに受けているんですな。ワタクシとしては、教育基本法こそが「時代を超えて変わらない価値あるもの」(15期中教審の表現)=「不易」であると思っているんだけど、みんなはどう考える?そして、「時代の変化とともに変えていく必要があるもの」(同上)=「流行」として、内閣の制定する政令や文部科学省が制定する省令が、ことこまかな変えるべき細則を明記していったらいいんだよ。あれだけ崇高な教育の理念を謳った基本法はないで。そう簡単に変えなくてもいいと思うんだけどなあ。でーんと座っているから立派なもの、厳かなものってあるでしょ。そういう存在なんだがな、いまの教育基本法は。
 

 さてさて、この教育基本法は、どのようにしてこの世に生まれたのでしょう。それは、新しい憲法の制定とセットで考えるべきなんですね。大日本帝国憲法の改正を考えていたときに、教育についても根本的な法律を作ろうという機運が起こったんですわ。なんでかといったら、大日本帝国憲法には、教育に関する条文がないでしょ。それに比べ日本国憲法には26条で規定してるでしょ。そこで、新しい憲法の教育に対する姿勢を堅固なものにするために、そして、戦前の教育のあり方を反省するために、「教育の根本法を作りましょう!」となったんだよな。その結果、教育刷新委員会がこの根本法の雛型=教育基本法原案をつくったんですね。

 ちょっとややこしいけど、大事なことなんで聞いてちょうだい。臨時教育審議会がなんで内閣直属なのか。臨時なのか。中教審があるのになんでこんなの設置したんだろうなあ。不思議だね。

 敗戦後すぐ、米国教育使節団と教育について議論した日本側教育委員会というのがあったんですわ。この日本側教育委員会が教育刷新委員会の前身なんです。で、じつは、この教育刷新委員会こそが、中央教育審議会の前身なんです。なにがいいたいのかというと、中教審は教育基本法を実質的に作ったといえる教育刷新委員会の発展的継承団体なわけで、由緒ある審議会なんですわ。戦後すぐの良心的な部分を代表した審議会なんですわ。この審議会では自分のいうことをよく聞いてくれへんのとちゃうか。そう考えたんが中曽根康弘だったわけ。それで、なかば強引に「臨時」教育審議会を設置して、自分の支配下に教育行政をおこうとしたんだな。ひらたくいうと、伝統ある中教審と、中曽根の思想はそりが合わなかったということですな。審議会の歴史については、教採じゃ、あんまり出題されないでしょう。とくに上で述べた戦後すぐのことについては。しかし、血の通った教職教養を身につけるということの一環として小耳にはさんでおいてちょうだい。2001年度・千葉県は審議会についての思考をかきたててくれました。

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2001年12月12日

次のア〜ウの説明文とA〜Dの人名を適切に組み合わせてあるものは、下の1〜5のうちのどれか。

ア 自己の教育思想を主に体験によって基礎づけ、人間の知・徳・体の諸能力の調和的発展の基本は、家庭および万人就学の小学校での基礎陶冶にあるとし、その方法は直感・自発活動・作業と学習の結合に基づくと主張した。彼の教育思想と実践は後代に大きな影響を与えた。

 イ 教育の理想は知・情・意の調和的発展にあるとして知・情・意のうち意志を最も重視し、意志の発展段階を衝動・意志・理性意志としてとらえ、それらの「徳」としてそれぞれ適度・勇気・誠実を考え、さらに正義を「徳」として加えてこれらの徳の形成を教育の中心目的とした。著書に「社会的教育学」がある。

 ウ 「知る」という学習行為は、課題分析という主体的態度に立った上で解決のための仮説を立て、それを吟味検証して一定の概念を獲得する情報操作であり、そこに方略(Strategy)が用いられると主張し、実証的に明らかにしてアメリカにおける認知革命の先頭を切った。

A パーカースト  B ナトルプ  C ペスタロッチ  D ブルーナー

1  アーA  イーC  ウーD
2  アーB  イーA  ウーD
3  アーB  イーD  ウーA
4  アーC  イーB  ウーA
5  アーC  イーB  ウーD

 ペスタロッチは、知・徳・体の調和的発展を願っていました、と普通解説されます。いわゆる全人教育ということですね。知は知育あるいは智育、徳は徳育、体はいうまでもなく体育だね。だから、頭と手と胸、HeadHandHeartということになって、3H´sといわれ紹介されることが多いですね。しかし、実際に『ゲルトルート児童教育法』を読んでみると、その大部分は知的陶冶にページを費やしているんだよね。体育や徳育にはあまり触れてないんだ。たしかに、人間は子どものうちに、こうした3者の芽を備えなければならないでしょう。しかしこうした全人教育の主唱者としてのペスタロッチは、日本の大正自由教育の時代に作り上げられた姿なんですよね。

 玉川学園の主催者小原国芳は、人びとからそのペスタロッチ研究によって敬意を表されていました。小原は全人教育の実践を力説していたのです。この時代に流布したペスタロッチ像はこの小原的ペスタロッチ像ということができると思うのです。また、もうひとつには野口援太郎的ペスタロッチ像といえましょう。ですから、実際のペスタロッチの姿は、もう少しペスタロッチその人の側に近づけて考えるべきでしょう。すると、その姿は、「直感から概念へ」という彼の教育思想がしめすように、いかにして子どもの認識・理解を確実なものにするかという研究に没頭していたところに見出せると考えられるのです。つまり知育主体の教育思想なのです。

 直感は直感です。難しく考える必要はありませんね。みたままにみたものを直ちに感ずるということです。ある実物をみせて、たとえば本をみせて、「これは本である」ということを子どもたちは認識します。直感的に認識します。直接的に物体を知覚して理解が進みます。そして実際にみたものを子どもたちは忘れません。もう少し詳しくいうと、物体を知覚して、まず単数か複数かをみてとり、それが「一冊」の「本」だとわかります。そして「本」という「つづり」を次に学習します。直感したものが文字で理解されるということです。概念認識とはこのことでしょう。このように直感を大切にし、少し難しい文字の理解・操作に及ぼしていくのです。すると、本の内容がわかる。文字を目でみて、知覚して、理解するのです。それは、概念的なものを理解する行為といえるでしょう。簡単なものにはじまって、難しい概念の理解へと進んでいくことができます。本来子どものはこうした能力が備わっているとペスタロッチは考えているのです。

 それは、貴族の子であろうと、孤児であろうと一緒です。子どものもつこうした認識能力に違いはありません。それゆえ、たとえばジョン=ロックのように、イギリスの将来を託す教育を、ジェントルマンという上流階級の子弟にのみ与え、国家を引っ張っていってもらうという構想を描いたのではなく、ペスタロッチは、民衆の学習能力の高さを知って身分に関係なく教育は必要なのであると説き、民衆の力を信頼する立場から国のことも考えていこうと構想したのです。シュタンツという場所で孤児院を任されたときのペスタロッチの言葉が思い出されます。

――「この子の飲むスープは私の飲むスープ」――
Tokyo,2000

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2001年12月4日

次のA〜Dの文章は日本の教育界に起こった出来事です。下記の問いに答えなさい。

 A 教育課程審議会の答申を受けて、小学校低学年に( 1 )が新設された。これは、具体的な活動や体験を通して、自分と身近な社会や自然とのかかわりに関心を持たせることにより、自立への基礎を養うことを目標としたものであった。
 B 文部省が策定した教育改革プログラムは、「心の教育」を重視し、学校教育は言うまでもなく、家庭教育を含む社会全体で「( 2 )」を培うことを目指した。
 C 臨時教育審議会は、4次にわたって答申を出したが、教育改革の視点として、「個性重視の原則」、「( 3 )体系への移行」などを提言した。
 D 中央教育審議会の答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」は、初等教育から高等教育までの全面改革を打ち出した。これは、明治初年、第2次世界大戦後に続く、いわゆる( 4 )と呼ばれた。

 問1 文中の( 1 )〜( 4 )に最も適する語を答えなさい。
 問2 AからDの文章を年代の古いものから順に並べ換えなさい。

 「諮問」と「答申」。難しい言葉ですね。なんで「諮問」なんていうんだろう。かんたんに「質問」といえばいいじゃないか、とワタクシなどは思うのです。「答申」?「解答」またはたんに「答え」でいいじゃんか。ま、審議会行政で使われる言葉だから、ちったあカッコつけなきゃならんということはわかるけどね。この関係はどういうことなのかというと、次のようになるんだな。あ、そうそう、審議会は学級会に毛が生えたぐらいに考えてくれよ。

 ワタクシT文科相であるが、教育のことさっぱりよくわからん、だから教えてくれよ、審議会のメンバーのみなさん。とくに、21世紀の教育なんか、どうしたらいいかわからんから質問したいんだよ。これが質問=「諮問」ということになるわけだな。そして、ここでのテーマは「21世紀の教育について」となるね。これをうけて審議会のメンバーは考える。21世紀の教育かぁ、難問だな。でも、T文科相が質問しとるんやし、答えたらなあかん。ああでもない、こうでもない、1年、2年と考える。審議会は教育の専門家、たとえば大学の教授、小学校の校長のほか、経済界の要人もいる。たとえば今の中教審には、IBMの重役もいるよね。あと、柔道の山下もいるし。で、ふうふういいながら、答えがまとまった。21世紀の教育は、こないしたらええねん!T文科相、まとめましたから、みてくれよ。と、解答=「答申」を提出するというわけだ。そして、この解答の書類が審議会の会長からT文科相に手渡されるとき、シャッターが切られるわけ。これが新聞に載るんだよね。

 80年代半ばの中曽根政治改革は、良きにつけ、悪しきにつけ、現代史の中でも、ひときわ光る改革であったと評価を受けるものになると思うんだよね。「戦後政治の総決算」、「ロン、ヤス」、「不沈空母」、「病は気から」などのキャッチで有名な中曽根康弘元総理大臣が、教育行政に風穴を通し、21世紀を視野に断行すべく立案した教育改革プランが、4回にもわたる臨時教育審議会答申に詰まっているわけですな。もともと、臨教審に諮問したのは、「我が国における社会の変化及び文化の発展に対する教育の実現を期して各般にわたる施策に関し必要な改革を図るための基本的方策について」という、長ったらしいテーマでした。このテーマの名称を答えさせるような問題は教採試験に絶対に出ません。断言しますわ。この諮問に対する答申の目玉が、個性重視の主張であり、生涯学習体系への移行措置の提示だったんですね。だから、現在の教育政策に大きく影響を与えている答申であるといえますね。しかし、なんどもこの場所でいうように、臨教審で議論されるまでは、教育現場は個性重視じゃなかったんかということになりますな。

 ところで、この臨時教育審議会は異色の諮問機関ですね。なにしろ文部大臣の諮問機関ではなく、総理大臣の諮問機関なのだから。しかも、「臨時」なんですよね。皆さん、不思議だと思いませんか。普通、審議会は、どんなものであれ、審議会の設置法によって設置されます。審議会を作る根拠が法律にあるということです。総理大臣の諮問機関で、つい最近のものを挙げるとすれば、森喜朗元総理の作った教育改革国民会議でしょ。これは、私的諮問機関でした。法律に根拠をもたない、いわば森が勝手に好きで作ったプライベートな「会議」ですね。だから、本来行政に対する影響力をもたないはずなんですよ。森は教育系議員だから、表面上は教育のことを専門にしてます。たとえば、ユースホステル新聞の年頭挨拶にもしゃしゃり出て、意見をいったりしてるんだな、これが。産経新聞入社試験を白紙で合格した男だから、どこまで教育のことを知っているのかわからないけどね。民放の日曜の番組で、中曽根康弘は「森はあんまり頭がいいとは思わない」といったぐらいなんだな。あ、話がぜんぜん違う方向にいっている。今回はもう長くなったので臨教審についての簡単な説明を日にちをかえて、いつの日か論じますわ。2001年度、静岡の出題です。

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