コラムとしての
過去問研究

2002年1月25日

次の事例について、学級担任のA教諭がとるべき対応としてより適切なものを3つ選び、記号で答えよ。

ア  いじめは当事者同士の仲直りで解決できるので、当事者に対して説諭を繰り返す。
イ  いじめは当事者だけでなく、学級全体の問題ととらえ、全員に対する指導を行う。
ウ  いじめは心の問題に起因することが多いので、指導を全面的に専門機関に依頼する。
エ  いじめの事実を関係保護者に連絡し、連携・協力を依頼する。
オ  いじめは関係児童のプライバシーにかかわるので、学級担任だけで解決する。
カ  いじめについては保護者が過敏に心配するので、解決の見通しが立つまで連絡しない。
キ  いじめについては事実把握が重要なので、関係児童を放課後残して自白を強く求める。
ク  いじめは情報を共有し指導体制を確立することが重要なので、教頭や主任に報告する。

 この問題、問題としては面白くもなんともないね。2002年度・長崎県教育委員会の出題者の意図がまったくわからない。常識的に考えればとける問題で、まちがえる要素がないと思うんだけど。たんなる生活指導上の知識確認を求めての出題にすぎないのかな。

 いじめで苦しんでいる児童・生徒が多いよね。原因がどうであれ、「人間として許されない」。いじめはどうすることもできないのかな。いじめに関する報道は氷山の一角でしょうね。本当はいじめはもっとあるに違いないんです。自殺の報道を見るたびにそう思うんだな。無力感につつまれるんです。子どもの世界は、心理学の立場から、ギャングエイジと呼ばれることがあるよね。この言葉が有する妥当性以上の妥当性をもって、まさに無法地帯の中で児童生徒は日々を生きているのかもしれませんね。学校って、実際は先生の監視の届かない場所だらけでしょう? 子ども心に、いじめを「ちくった」あとの「報復」が怖くて、なにもいい出せないのが現実です。いじめられる立場からすれば、学校は戦場そのものといえるでしょう。児童生徒の本音はおそらくこうであるのに、大人や先生は気付かないフリをしているだけなんだ。出席停止のカードを切るタイミングとあわせて、現場の先生には「ためらわず」、「毅然として」奮闘してほしい。

 「児童生徒にストレスがある。これがいじめとなってあらわれる」とよくいわれます。こうした考え方はあるにはあるけど、なんの解決にもつながらないね。ワタクシは、いじめの原因は、「さびしさ」以外にはない、と密かに思っています。しかし、いずれにせよこのような現状分析は、もう腹一杯なんだな。これからは具体的に教育現場でどう対応するかなんだよね。じゃ、体罰容認でしょうか。教育的指導の範囲を広げることはできないのでしょうか。

 体罰はだめ、これが基本です。例の、頭をボールでなんどもどついて、くも膜下出血に至らしめるなんてのは言語道断。一方、生徒に対し懲戒を与えることはできます。これに関して判例は語っています。体罰とは、「懲戒権の行使として相当と認められる範囲を超えて有形力(難しいね、この表現。結局手をあげるということ)を行使して生徒の身体を侵害し(中略)、肉体的苦痛を与えるもの」と説明されてるんです。だからだめと。で、懲戒の方法として、もし口頭の説教が微温的で、生徒に感銘を与えることができないとすれば、必要に応じ教員は、「一定の限度内で有形力を行使することが許されてよい」ときもある、とも書かれているんですね。どこまでが体罰で、どこまでが許される「有形力」なんか、きっちりした線引きができないし、線がないんだからどうも判断が難しいなぁ(以上、引用は東京高判・昭56・4)。このへんは、文科省の「通達」をどう解釈するかによるねぇ。教室内で、反省を求めて3分立たせるのはいい、と。でも30分はだめ。放課後残して叱責したらだめなのかな。でも、思い切って厳しい措置をとらないと、公立校は生き延びることができないでしょう。なぜなら、そうした体制の整っている私学に生徒をかっさらわれるに違いないからです。

 学校・家庭・地域社会の3者連携を前提に、教員の努力によっていじめをなくすように答申は提案しています。だが、どこまでその連携が実現できるのでしょうね。また教員は支援されるのでしょうか。どこまで教育にかかわるもの全員が本気なのでしょうね。暴力など生徒の反社会的行為は、なにによって防止できるのでしょう。「目には目を、歯には歯を」の戦闘状況にある教育現場では、上でみたように学校教育法11条に縛られる教員は、簡単に打ち殺されるPCゲームの敵キャラに等しいのとちがいますか。名古屋の5000万円恐喝事件を考えてもみてください、だれがこんな大きな事件であると予想できたでしょうか。無力な教員集団と教育委員会が存在しているだけなのかも。そして後手後手に設置されるスクールカウンセラーたち。ためらわず道徳教育を推進しようというのはわかります。だが、そうしたやり方が通用しない場合もあるでしょう。暴力沙汰で逮捕される中学生の出る学校とは、もう、生活指導機能麻痺状態といえます。警察との連携などといわず、学校が独自の強い対応をできないのかな。この現状はなんなんだろうね。わからない。これは遠い国の話じゃないんだよね。・・・今回は問題発言だな、コリャ。

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2002年1月17日

次のア〜オは、初代文部大臣森有礼のときの教育制度改革について述べたものである。正しいものを二つ選ぶとき、その組み合わせをひとつ選び、番号で答えよ。

ア 尋常科、高等科あわせて8か年の小学校のうち、尋常科4か年が義務教育となった。
イ 義務教育年限が6か年に延長された。
ウ 帝国大学令、師範学校令、中学校令、小学校令などからなる学校令が公布された。
エ フランスの教育制度を模範とし、国民皆学を目指して学制が公布された。
オ アメリカの自由主義的教育を参考にした教育令が公布された。

1 ア・イ  2 ア・ウ  3 ア・エ  4 ア・オ  5 イ・ウ 
6 イ・エ  7 イ・オ  8 ウ・エ  9 ウ・オ  0 エ・オ 

 残念なんだけど、教採の中で、日本教育史は一番出題されない分野ではないかしらん。マークシートでちょろっとでるだけだよね。自治体によってはまったく出ない場合もあるし。ほぼ出題されないところを勉強するのって、効率悪いし、つらいよな。たとえば森について、まさか集団討論で突っ込んだ議論をするわけでもないし。しかし、ひとたび出ると、この2002年度・愛知のようにめちゃくちゃ難しいのが出ちゃう。難しくはないんだけど、知らないとそう感じてしまうんだよね。「尋常科」ってナニ?の世界・・・

 本当は日本教育史って、面白いものなんだけどな。だって、遅れて資本主義化した国はいろいろあるけど、なぜ明治日本はこんなに成功したのだろ。この問いに答えを与えようとすれば、教育のことを歴史的に語らずしては無理でしょ。ワクワクするじゃない?つまり、一所懸命国を作り上げようと明治人はがんばったでしょ。こういう国作りに意欲をもった人物を教育機関が育て、社会のあらゆる分野に人材を提供したんだよな。「国家百年の計は教育にあり」とは、まさに明治時代の教育をいい得てぴったりする言葉だね。公共ということをどう考えるかには是非があるけど、少なくとも国家主義教育を標榜した森文政以降は教育目的がこのようにはっきりしているよね。いま、どんな人間を形成するべきかぼやけていると思うんだ。べつに国に奉仕する人間を作れって主張しているのではないよ。でも、答申なんかをみるかぎり、「どうなんよ」といいたくなることがいっぱいある。教育内容をこんなに削減してどんな人間を作る気なんだろ、とかね。

 ところで日本教育史の勉強すべき箇所を思い切って限定すれば、江戸時代と明治・大正の教育だけをやればいいと思うよ。しかも、ワタクシタチは公教育の教員になろうとしているんだから、「明日が受験の日」などと切羽詰まった時期(なんという設定!)なら、公教育の歴史だけを押さえておいたらいい。つまり明治以降だけということ。平安時代の貴族の教育を暗記したって得点には結びつきにくいよ

 起点は明治5年の学制。これに7を足す。すると、12年、19年となる。12年は教育令だし19年は森の諸学校令の公布だね。ここに23年の教育勅語を付け加えて、明治教育は終了なんです。この4つの年代を軸に改正事案の年代を憶える!そして、この問題の選択肢に説明されてる程度でいいから、各項目の内容を理解する。じっくり歴史的思考をモノにしてほしいけど、それは愛知に合格してからにしましょうか。みなさん、でないとたかをくくるなかれ。がんばりましょう。

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2002年1月12日

学校には、学校図書館の専門的職務を掌らせるため、司書教諭を置かなければならないと規定している法規名を答えよ。

 教育現場で言語環境の適正化がいわれだして久しいですね。子どもたちの使用する言葉が貧困になってきているのは、私たち教員を目指すものだけでなく、親御さんも含め、みんなが感じているところでしょう。でも、それは、仕方のないことなんです。だれでもはじめから多彩な言葉を操るなんてことはできませんよ。子どもは、徐々にボキャブラリーを増やしていけばいいんです。

 量の問題はいずれ解決していくと信じてますが、問題は、表現の豊かさを狭める言葉の使用だと思うのですよ。つまり質の問題です。一つの言葉ですべての表現をしよう、ある種の感覚を一つの言葉に詰め込もうとする習慣をなくさないといけないと思うのです。その代表は、「むかつく」ですよね。自分にとってマイナスの価値に出会ったとき、すべてをこの言葉で済ましてしまう・・・。マイナスの価値に出会うことはよくあることです。でも、それがどういう意味でマイナスなのか問うことが、あるいは表現を豊かにしていくのですよ。人間、いやなもの(マイナスの価値)に出会うと放り出したくなりますが、そこで立ち止まって考えてみることもいいんじゃないかな。もちろんプラスの価値に出会って表現が豊富になっていく場合もありますね。この場合でも、たんに「いい」というだけでない、なにか積極的な表現を求めたいものです。いずれにせよ、立ち止まって考えるということが、豊富な語彙をもち、豊かな表現を生むきっかけになるといえましょう。

 司書教諭を必置職にしたのは、文科省の英断であるとワタクシは評価しています。多くの良書を子どもたちに、そして生徒に紹介してやっていただきたいものです。本来、国語の先生がこうした仕事をやってきたのですが、是非、司書の先生とタッグをくんで、何か学校内で企画を立ててほしいもんです。読書量とボキャブラリーの量は、比例関係にあるといえますね。夏休みの宿題に読書感想文を無理やり書かすような方法ではなく、そしてまた、「朝の読書会」のようなものではない企画。ちょっと難しいかなあ。鳥取県(2002年度)では、いいプランがあるのでしょうね。というよりむしろいいプランをもった教員志望者を募っているとみなさなければなりませんね。

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2002年1月5日

次の文が説明している人物を、@〜Eから選び番号で答えよ。

 大正時代の新教育運動の指導者。1921年(大正10年)の夏、東京で開催されたいわゆる「八大教育主張講演会」で「全人教育論」を主張した。そこでは教育が「真・善・美・聖」という四つの価値を希求するものであること、それを調和的に発展させる人格が「全人」であり、教育の目標もそこにあると説いた。

@ 手塚岸衛  A 沢柳政太郎  B 木下竹次  C 及川平治  D 小原国芳  E 篠原助市


 大正10(1921)年、東京高等師範学校の講堂において開催された、いわゆる大正自由教育の総括的な教育講演会がこの「八大教育主張講演会」なんだね。参加者は全国から2000名余、夏の暑い8月初旬の8日間、夜6時からはじまり夜の更けるまでつづいたそうです。訓導(当時、教員はこう呼称された)が指示、指導し中心となっていた明治時代の教育方法に反省を迫った歴史的な主張、つまり児童中心主義がここにありました。児童中心主義は8人の主張だけでなく、広く大正自由教育全体に通底しています。児童中心主義という理念が今日的意義をもっていることは、総合的な学習の時間の設置および実施をみても、疑いのないところでしょう。トライやるウイークで先駆的に体験学習を進めている、神戸市(2002年度)からの出題です。

 「八大」というからには、8人の教育家の講演があったわけ。すなわち、
@ 樋口長市の「自学教育論」
A 河野清丸の「自動教育論」
B 手塚岸衛の「自由教育論」
C 千葉命吉の「一切衝動皆満足論」
D 稲毛金七の「創造教育論」
E 及川平治の「動的教育論」
F 小原国芳の「全人教育論」
G 片上伸の「文芸教育論」
ですね。そして、この中でもその主張と教育実践とが結びついたものが、よく出題されるでしょうね。それは、B、E、Fでしょうか。

 

 B 手塚岸衛の「自由教育論」。「てづかきしえ」と読みます。明治13(1880)年生れ。39歳のとき、千葉師範学校付属小の主事に就任し、自治会や、学校行事を重んずるなど、児童主体の自学・自治・自育を尊重して自由主義を主唱しました。著作『自由教育真義』を覚えておきましょう。
 E 及川平治の「動的教育論」。「おいかわへいじ」と読みます。明治8(1875)年生れ。明治40(1907)年から明石女子師範学校付属小の主事に就任する。明石における教育実践は、動的とか、分団的とかいわれるが、簡単にしてかけば、「一つの学級を班分けして活動する」と考えていい。著作『分団式動的教育法』を覚えておきましょう。
 F 小原国芳の「全人教育論」。「おばらくによし」と読みます。明治20(1887)年生れ。この人については、うえの出題文がそのまま説明になるでしょう。
 「八大教育主張」者のほか、大正期の重要な教育家、教育思想家についても追々考えていきましょう。

北原白秋の詠めるうた――
 我が太郎 声はあげつつ 帰りたり 小原先生は えらしと云ふなり

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