コラムとしての過去問研究

2002年2月28日

次の(1)〜(4)の文に該当する人名を正しく組み合わせたものはどれか、ア〜エから一つ選び、記号で答えよ。

(1)『語学入門』『大教授学』『世界図絵』などの教育書によって教育の近代化を進め、事物による直観教授の大切さを強調した。人類愛的平和主義の立場から、性別や貧富の差のない普遍的教育を考え、近代教育の父といわれるチェコの教育思想家。
(2)教育学を体系化した学者として知られ、ペスタロッチと交わり教育上での影響を受ける。教育の目標は倫理学、教育の方法は心理学から導かれると述べた。教育の作用を「管理・教授・訓練」の三つから論じ、教授方法として心理学を取り入れて、明瞭・連合・系統・方法の四段階を説いた。
(3)アメリカの心理学者で臨床心理学の創始者。1896年ペンシルバニア大学で、世界最初の心理クリニックを開設する。彼は、第一に子供の精神発達の研究、第二に心身の障害のある子供のための心理クリニック、第三にこれらの子供にかかわる専門家の実習の場を設ける事を提唱した。
(4)経験を重視した教育理論は「子供の生活経験に基づいて行われなければならないこと」「カリキュラムは子供の家庭生活に連続し、そこから次第に形式的教科に分化していかなければならないこと」を強調している。著書に『学校と社会』『民主主義と教育』等があり、世界の教育改革に寄与した。

@ ヘルバルト  A マカレンコ  B デューイ  C シュプランガー  D ウィトマー  E ブルーナー  F フレーベル G コメニウス

  1 2 3 4
ア @ A F D
イ G C A E
ウ G @ D B
エ @ F G C

 ヘルバルトの4段階教授法とはどのようなものなのでしょうか。4段階教授法が、明瞭・連合・系統・方法の過程をもっていることを、ワタクシたちは知ってはいるのですけど、具体的にどう展開していくのかなんてことは、ほとんどわからないんですね。ある本のなかで、ワタクシはこう書いたんです(以下、括弧内は『一般教育学』からの引用です)。

1.あるひとつの事象をそのほかの事象から峻別し、それに関心を集中することによって、「明瞭」な理解を得る。教育者は、このとき青年の「明瞭」な認識に混濁を与えないように注意する。
 2.1とは別の事象に関心を移行させ、新たにそれに没頭し、それの「明瞭」な事象を得て、「想像」を媒介に、事象相互間の「連合」を図る。
 3.事象のたんなる「連合」を、何らかの理論的な枠組みの中に矛盾なく位置付け、これを「系統」化する。「豊富な致思の豊富な秩序を系統と呼ぶ」。
 4.系統的知識を発展させ、新しい事象あるいは事象群にも「方法」的に適用できるよう訓練する。これまで学んだことの応用段階である。
 これって、具体的にどういうことなんだろう。こう書いて、これを読んで、イメージを描ける方が果たして何人いるというだろう。書いた時点ではこれでよしと思っていても、自己批判せざるを得ないんだよな。実際、この4段階を教育課程に則して、具体的に説明してみたい。科目は数学と理科がいい。こんなふうにあてはめられるなんて、ヘルバルト先生は夢にも思ってないよ。

1.1次関数という単元(事象)だけを集中して勉強し、「わかったよ!!」と自慢して歩くほど「明瞭」に理解する。ヘルバルトは「単元(事象)」のことを「表象」と表現しているんですが、わかりにくいので、このように変えてみました。
 2.2次関数という単元(事象)だけを集中して勉強し、「わかったよ!!」と自慢して歩くほど「明瞭」に理解する。1次関数と2次関数ってどんな関係にあるんかなあ、と想像し、頭のなかで、Y=2X+3とY=X+2X+1のグラフを描いてみる。これで両者の「連合」がうまくいった。
 3.次に、理科の分野における2つ単元を例にし、考えてみる。ひとつは自然落下運動。mghなどというのが思いおこされるが、速度と質量の関係に、重力という要因がかかわることについて「わかったよ!!」と自慢して歩くほど「明瞭」に理解する。そして、関心を移行して、ボールを空に向かって投げてみる。放物線の運動だ。これは投げ出すときの力が問題だね。それにその力が減衰していく。放物線運動が「わかったよ!!」と自慢して歩くほど「明瞭」に理解する。これで、関数に関する「明瞭」な「連合」と、物理に関する「明瞭」な「連合」との2つが、ワタクシたちの頭の中に描かれた。この2つの「連合」を「系統化」するのである。つまり、この両者を「何らかの理論的な枠組みの中に矛盾なく位置付け」ることができるかどうか。ここで、「なんらかの理論的な枠組み」とは、自然科学の世界といっていいのではないか。こうして、ひとりの人格の中に、数学的世界観と、物理的世界観が一歩一歩積み上げられ、融合して理解されるようになる。
 4.この例では、関数に関する「明瞭」な「連合」と、物理に関する「明瞭」な「連合」を取り上げましたが、これをまた別の分野で行うのです。国語と社会の間で考えてもいいのです。「明瞭」になった対象の「連合」を「系統」化していく「方法」を身に付けること、これがヘルバルトの望んだ明晰な理解に至る道といえるでしょう。

4段階教授法とは、つまるところ、生徒の学習意欲を高めるため、理性的認識の順序にステップを設けたといっていいでしょうね。いわば実践的理解への教育的進展です。最後の「方法」を自己の方法論的思惟にしてはじめて、数学、理科、国語、社会などと多面的興味を調和した世界観が生まれるのです。
 だが、ヘルバルト先生にあっては、こうした一連の営みは、「あまり小さい子どもには(中略)すべて無理なこと」なんですね。子どもたちに対する教授によって「系統」が与えられないとしてもそれはやむをえないことであるが、「しかしそれだけに、そのようなときには教授によって、それぞれのまとまりが一層明瞭にされ、それらがますます十分にまたさまざまに連合され」るように、「あらゆる面から一様に配慮されなければならない」のだそうです。

 いうまでもなく、この4段階教授法で大切なことは、1、2の段階を通して得た多面的興味の育成が、たんに博学に流れず、人格的に統合されること、いいかえれば道徳的陶冶の助けとなることです。この道徳的品性の陶冶の結果、五道念といわれる内的自由、完全性、正義、公正、好意を備えた人格が完成します。ヘルバルトによると、道徳的洞察のもつ美的な力からのみ、勇気と思慮に結びつき欲望をはなれた善に対する純粋な熱情が生じ、それによって真正の道徳性が品性にまで強まるというのです。人格がしっかりせずに「もっぱら利己主義的な興味と結びつくなら品性は直ちに必ず堕落する」と警告しています。

 このような道徳的人格形成につながる教授を「訓育的教授」とヘルバルトは呼ぶのでした。道徳的人格形成にかける彼の情熱は決して生半可なものではありません。それは、「思想の貯えが欠けているなら、動物的欲望に対して妨げになることのできるものは何もない。またその結果、品性のカリカチュアのような何かある畸形が結局のところ生ずるだろう」とまでいい切る彼の口吻にあらわれています。ヘルバルトがいうように「思想界(一人ひとりの青年の独自の世界観)の陶冶こそ教育の本質的部分」であることをワタクシたちは再確認しないといけませんね。「通常の学校のがらくたとそこから期待されるべきであるような思想界」しか形成できない品性の陶冶にかかわる批判的な当時の現状、ひいては人間形成全般の教育に対する当時の厳しい批判を、われわれに突きつけられている批判だとうけとめ、省察していくべきではないでしょうか。

 ヘルバルトの教育方法論は、ツィラー(1817〜1882)、ライン(1847〜1929)らいわゆるヘルバルト学派に発展的に継承されてゆきます。ツィラーは分析、総合、連合、系統、方法に、ラインはさらに予備、提示、比較、総括、応用のそれぞれ五段階に深化させました。彼らの生きた時代が19世紀であることから想像されるように、こうした五段階教授法が、明治時代に御雇外国人ハウスクネヒト(1853〜1927)の教育学講座で伝えられ、また、京都大学教授谷本冨を介し、おおいに日本に普及、活用されたのでした。「五段教授で汗水たらし、今日もおなかがヘルバルト」と詠まれたのはこのころの流行を物語っていますね。2001年・京都市の問題でした。

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2002年2月16日

 次のア〜オは、教育に関する著名な人物について述べたものである。正しいものを二つ選ぶとき、その組み合わせを一つ選び、番号で答えよ。

ア  スイスの教育者ペスタロッチは、自然に則した人間形成を教育原理とし、知能、身体、道徳の調和的発達を教育の目的とした。主著に『隠者の夕暮』がある。

イ ドイツの教育学者ヘルバルトは、ペスタロッチに私淑し、世界最初の幼稚園を創設した。主著に『人間の教育』がある。

ウ アメリカの哲学者デューイは、プラグマティズムを大成した。主著に『脱学校の社会』がある。

エ イタリアの教育者モンテッソーリは、幼児教育改革論を唱えた。ローマに「子どもの家」を設立し、自由、環境、感覚を重視した教育を行った。

オ ドイツの哲学者フレーベルは、倫理学と心理学を基礎に体系的な教育学を樹立した。その教授段階説は、教育界に大きな影響を与えた。

1  ア イ   2  ア ウ   3  ア エ   4  ア オ 
5  イ ウ   6  イ エ   7  イ オ   8  ウ エ 
9  ウ オ   0  エ オ  

 ヘルバルト(1776〜1841)はドイツの哲学者、教育学者で、『一般教育学』、その増補版としての『教育学講義綱要』などの著作をもっています。系譜的にいいますと、かれは、ラトケ以来のドイツ教育学の伝統的なあり方である教育方法論の探求の道を歩くことになりました。その教育方法論とはどんなものなんかな。方法は目的を定めてはじめて活用できます。したがって、ヘルバルトの目的を最初に確認しましょう。

 さてさて、ヘルバルトにあっては、教育の目的はどこにあったのかな。『一般教育学』の中で、かれは、教育学者ははっきりと教育の目的を定めなければならないと主張しています。すなわち、ヘルバルトは、「教育学は、教育者にとって必要な科学であるが、しかしまた教育者は、相手に伝達するために必要な科学知識を持っていなければならない。そして私は、この際、教授のない教育などというものの存在を認めないしまた逆に(中略)、教育しないいかなる教授も認めない」と教授と教育の表裏一体を唱えて教育方法論の欠如は許されることではないと述べています。それと同時に、自己の利益のために師匠からどのような技術や技倆を学ぼうとも、それはどんな色の服を選ぶのかということと同じでくだらない議論だとしりぞけ、しかし「青年の思想界がいかに規定されるかということは、教育者にとってすべてである」と教育目的の所在は「思想界」の規定であるとはっきりと宣言しているのです。

 なぜなら、「思想から感情、更に行動の原則と行動様式が生ずるから」なんですね。教育方法のない教育はみとめられないし、青年の精神に確固とした思想、彼のいう「品性」を築けない教授も認められないのです。したがって、かれの場合、個人の内面世界における思想的統一を教育の最終的な目的とし、道徳的人格の形成が教育の帰結でなければならなかったんです。しかし、道徳的説教をたんに繰り返しても、青年に効果はないでしょうね。それゆえ、「道徳的教育の問題は、全教育の問題から切り離すことのできる一片であるのではなく、この問題はその他の教育的配慮と必然的な広範囲な関連に立つ」と道徳教育の教育学における位置を確認し、青年が道徳的判断力を身につける前提に、多面的、調和的な興味関心の育成つまり一般陶冶が必要とされ、それこそが「教授」の仕事であると強調したわけです。

ヘルバルトは、このように「視野の幅」=教育の目的をはっきりと設定し、それを可能とする方法論を彼なりに追求したのでした。このとき、科学としての教育学は、実践哲学と心理学に依拠しなければならないのいうのが、ヘルバルトの論だったのです。うえで示した問題の選択肢の文章を借りれば、「倫理学と心理学を基礎に教育学を樹立した」ということになるのですね。

 しかし、倫理学と心理学を基礎としたとはどういうことなんでしょうか。また、4段階教授法とは、どのような教授法なんでしょうか。こういうところが難しいよね。教員採用試験では、なにもこんなところまで理解しなくてもいいんだけど、それじゃもったいない。ここでいう倫理学とはなんなのか、ヘルバルトは、それはカント倫理学だといっています。教育目的は道徳的人間形成にあり、それは、カント倫理学を基盤に養われるということなんですね。だから、道徳陶冶が目的で、そのために知的陶冶があるんだね。倫理的に立派な振る舞いをするため、なにが立派なのか理解しなきゃならないんだ。ある行為が正しいかどうかの判断をするためには、それを判断するに足る知能が必要になる。そうした能力を知的に磨いていかなきゃならない。そうすると、どんな段階をおって物事を考えていくか、方法論を考える必要が出てきたんだね。教育の終着点が立派な人格形成、そこに至る方法が4段階、これがヘルバルトの教育思想と教育方法でしょう。4段階教授法とは、いうまでもなく、あの有名な、明瞭→連合→系統→方法のことなんです。

ヘルバルトの仕事については、次回、もう少し書きたいと思います。今回はここまでにします。2002年度、愛知はいろんな角度の問題を用意してますねぇ。

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2002年2月3日

次の教授法の説明として適切でないものはどれか。@〜Cから選び番号で答えよ。
@ソクラテス法(Socratic method)
 ソクラテス(Socrates)が問答法として試みた方法のこと。本人が自ら考えることを援助する方法としてソクラテスがアテネの青年や知識人を相手に行った対話や問答のやり方をいう。

Aモニトリアル・システム(monitorial system)
 イギリスを中心に19世紀初めから中頃にかけて行われた学級教授法の一形態。生徒のうち年長で比較的優秀なものを選んで、教師の指導のもとで他の生徒への教授を個別的に徹底させようとする教授法。助教法ともいわれ、実践の中心となったベル(Bell,A.)とランカスター(Lancaster,J.)の2人の名を取って、ベル・ランカスター法などと呼ばれている。

Bプロジェクト・メソッド(project method)
 アメリカにおいて、20世紀初頭から実践の萌芽がみられ、1910年代に普及し、1920年代半ばにかけて高揚期を迎えた、実験的経験主義による単元学習法の典型。キルパトリック(Kilpatrick,W.H.)により定式化された。

C水道方式
 科学上の最も基本的な諸概念と最も原理的な法則を教えるための教材の授業運営法として1963年に板倉聖宣によって提唱された授業理論。その授業は、「授業書」と称する一種の教科書・兼授業案・兼ノートを中心に展開される。

 水道方式についての説明では、たとえば、数学教育に革命をおこした画期的な教育方法だとか、例の「教育課程の現代化」運動をうけて編み出された教育方法であるとか、いろいろといわれます。でも、簡単にいうと、水道方式とは、1960年代の数学教育苦難の時代に、デカルトの『方法序説』、『精神指導の規則』を方法論に活用して数学教育を真に科学的な手法で確立しようとしたものでしょう。あれ、こっちのほうが難しいか・・・どういうことなのか、デカルト著・落合太郎訳『方法序説』1953年・岩波文庫から引用して考えてみますね。その「規則」は、第一から第四まであって、29ページ以降のところにのっています。

 第一は、明証的に真であると認めることなしには、いかなる事をも真であるとして受けとらぬこと、すなわち、よく注意して即断と偏見を避けること、そうして、それを疑ういかなる隙もないほど、それほどまでに明晰に、それほどまでに判明に、私の心に現れるもののほかは、何ものをも私の判断に取りいれぬということ。

 第二は、私の研究しようとする問題のおのおのを、できうるかぎり多くの、そうして、それらのものをよりよく解決するために求められるかぎり細かな、小部分に分割すること。

 第三は、私の思索を順序に従ってみちびくこと、知るに最も単純で、最も容易であるものからはじめて、最も複雑なものの認識へまで少しずつ、だんだんと登りゆき、なお、それ自体としては互いになんの順序も無い対象のあいだに順序を仮定しながら。

 最後のものは、何一つ私はとり落とさなかったと保証されるほど、どの部分についても完全な枚挙を、全般にわたって余すところなき再検査を、あらゆる場合に行うこと。

 以上が、余りにもよく知られているデカルトの法則です。とくに2、3、4ですね、水道方式とかかわるところは。分数や少数計算、方程式など、数学の問題を解くときに、その問題をいちばん簡単な項にまで分解してみる。水道方式では、この分解された項を「素過程」と呼んでいます。そしてこの「素過程」を組み合わせて規模的に少しおおきなモデルを作る。「項+項+項」のようなもの。これを「水源」と呼んでいます。

 数学的発想というのは、基本は哲学といっしょです。デカルトだって神の存在を数学的に証明しようとしていたんです。このことはおいといて、話を元に戻すと、難しい問題を考える時、細かな過程に分解してひとつひとつの解を求めますね。その解の関連を整合的に捉えれば、全体が見渡せてきます。全体像=正答が固まったとき、ほんとにこれでいいか再検討します。最後に正答が再確認されて、めでたしとなります。そしてこの一連の手続きを他の単元指導にも適用しようとします。いまなら当然と思える数学教育の方法論も、そのはじめには、苦心があったんですねえ。数学教育協議会、遠山啓の面目躍如です。しかし2002年度、神戸市は難しい問題を出しますね。100人受験生がいたら80人くらいは水道方式なんてはじめて目にするんじゃないかな。

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