集団討論についての覚書・3

人物重視試験のおおきな壁

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集団討論とタイタニック

映画といえば、『タイタニック』である。集団討論も、そのメンバー全員がひとつの船に乗っているのである。みんなで助かるか、沈没するか、まず、そこが肝心であろう。その意味では、どこの自治体にせよ、集団討論の合格基準は、第一に、集団として合格するか否か、にあるように思えてならない。つまり、数あるグループから合格したグループをまず選び、次にその合格グループから個人としての合格者を選ぶという手順をとるのではなかろうか(これは筆者の推測である)。それゆえ個人としての「成功」よりもむしろ、グループとしての討論そのものの「成功」が前提条件となる。そうでなければ、集団討論をする意味がない。たとえば日の丸・君が代についてなど、賛成か反対かを明示せざるを得ないテーマにせよ、生徒指導の技術など、あまり意見がぶつかり合うことなく課題そのものの掘り下げの深さ、つまり方法論、実践論が注目されるテーマにせよ、参加者全員が協調して主体的に議論を作っていく姿勢がみえなければ、その集団討論の魅力は半減する。よい討論とはいえないであろう。実りある「職員会議」が開かれたとはいえないであろう。

 課題が示された瞬間、そのとき、受験生は緊張感ではりつめている。だが、与えられた課題の意味を掘り下げず、表面的に議論が進行したり、課題の意味そのものを取り違えたりすることは、どこへ行くかわからない船に乗っているようなものであろう。出発前、アメリカ行きのチケットを買ったのに、到着したら日本だった、では困るのである。だから、課題がいい渡された直後の「課題の共通理解」=「この課題の問うている本質はなにか」の確認は避けられない手続きであるといえる。議論する土俵を限定する、議論の切り口を定める、議論の設計図を提示すると表現すればいいであろうか。議論の土俵が定まってはじめて、そこで検討される討論内容が決定する。アメリカへの「航海」を楽しくするため、楽曲隊をそろえたり、ダンスルームを設けたり、多様な工夫が必要なのと同じように、討論を豊かにするのに、教育原理的知識や、答申理解が欠かせない。

 討論の最中に間違った方向、つまり「本質」からそれた方向に進みかけているなと気付いたときには、それに気付いた参加者が、方向修正する提言をメンバー全員にむかって示し、正しいと思われる筋道への転換を促すべきであろう。議論の構築とは、一貫性を保った各々の意見の積み重ねである。だからひとつの結論を導き出していく積み重ねの過程に、参加者一人ひとりがどう貢献しているかが評価されるといえよう。これこそが、集団として合格した後の、合格者個人を判断する基準であると考えられるのである。

 もう少し、集団としての観点から考える。協調ある態度をとり、実りある議論を構築するには、たとえばパーティの「壁の花」のような参加者にも進んで「声かけ」をするべきであろう。それが全員参加型の討論として評価されるはずである。同じ目的地に向かって協力的に進む姿勢は、「航海」でも「討論」でも大切な要素である。ちなみに、教員は生徒の「自分探しの旅」をサポートする存在ではなかったか。児童生徒一人ひとりに愛情もって接する姿勢があるかどうか、集団討論では、そうした資質もみえてくるものである。

 また、自己主張が強いのはいいが、同じ乗組員に対する気遣いは必要である。どんな考え方を相手がもっているのか、相手の発言の論理的な構成は正しいのか、など、はじめて会う人々のあいだにあって、かつ、短い時間にあっては、こうした「参加者互いの理解」は至難の業ではあるが、やはり気を配って進めなければならない。そのためには参加者の発言をじっくりと聞くことを忘れてはならない。30分前後という短い「航海」においても、相互理解と相互尊重がエチケットであろう。これが「大人」の姿勢=「教師」の姿勢だといえる。この、30分間ということを常に自覚して討論しているかも大切である。授業実践と同じように、集団討論にも導入、展開、終末(結論・まとめ)の各段階がある。時間内に結論がまとまらず、尻切れトンボになってしまうと、「全員が沈没する」。時間配分について全員が配慮すべきであろう。

 さらには、討論の進行の方向性を無視、あるいは議論の流れにそぐわない発言は控えなければならない。突発的に関係のない議論(漫才師・大木こだま・ひびき的なもの。ほんとうに「往生しまっせ」となる)をふっかけたり、急ブレーキをかけたりするのはいかがなものであろうか。たしかに話題提供は必要である。もちろんその話題がよい方向に「航海」を導く場合もある。しかし、「あちらにきれいな島があるから寄っていこう」というのは、個人的な見解であって、集団としての見解、方針とどのように関連するのか熟考したうえで提起するべきであろう。ここを見誤ると、その提言の言葉は宙に浮いてしまう。

 逆に、時化にあって船の現在位置がわからなくなり、おろおろしているとき、力強い導きの声はうれしいものである。すなわち、議論が行き詰まったときに、それまでの議論と関連しつつ、新しい視角を提供する期待が参加者全員にかかっている。その重圧は、司会者だけにかかっているのではない。司会者は、その役をかってでる勇気をもち合わせているとは思うが、内心おろおろしているものである。議論が押し詰まったとき、司会者を助けるような上のような視角の提供は、集団の討論そのものを生き返らせる。そうした提言を司会者にいうのに遠慮は要らない。

 司会についてここで触れておきたい。リーダーシップは発揮するべきだが、「船頭多くして船山に登る」でも困る。討論の難しさは意見をまとめる難しさでもある。集団討論では、司会者を立てるケースが多い。負担は大きいが、司会をかってでる価値はある。司会者に立候補する・しないは、リーダーシップの有無の評価につながることは事実であるが、忘れてならないのは、司会をやっていることで議論に参加していると思い込んでしまう勘違いからの脱出である。テーマについて自分の意見をなにもいわず、たんに他の参加者の議論を交通整理しているに過ぎないのに、「なぜ自分は不合格だったのか」と悔やむことがしばしばあるが、その場合の不合格の理由は、整理役を仰せつかったということで議論に参加しているという「思い込み」にあるのである。司会者といえども、テーマに関する自分の意見をいわなければ、評価の対象とはならない。その意味で2重の作業をやらなければならないのである。それだけにこの難しい役割を果たせた受験者に、高い評価が与えられることは間違いない。( 附記:各自治体において、最近では、司会を立てないケースが多いようである。おそらく、受験生に対し、公平な判断を下したいからであろう。ときには「雑談して下さい」とまで指図される場合もある。しかし、実りある討論をしているグループは、結局、司会ならぬ「仕切り役」が存在するというのは事実である。Nov.5,2002)

 まわりくどくなったが、結局は、
   課題の本質を的確に捉えているか
   課題に即した適切な答申の内容や教育原理的知識を盛り込んでいるか
   個別的な意見の積み重ねのうえで論理的に討論が進行しているか
   ひとりが突出しない、集団としての議論に成功しているか
   教員としての自覚をもち、時間配分に注意しつつ意欲的に議論に参加しているか
というようなことが、集団討論を行なうに当たって配慮すべき事項である。「こうした事項を私は守り、討論に参加していますよ」とアピールするのが、「いい意味での目立ちかた」なのである。

 そのほか、老婆心ながら注意すべきことがいくつかある。第一に、ごく一般的な注意として、このページに来られるみなさんには今更の感はあるが、面接官に不快感を与えるような服装や頭髪で試験を受けるかどうか。頬杖をついたり、他の受験生に対し威圧的な態度をとったりするだろうか。また、ぼそぼそしたはっきり聞き取れないしゃべり方や、社会人として不適切な言葉使いをするだろうか。若者言葉は使うのだろうか。敬語で話すべきかどうか。討論の途中で、「やっぱー」、「ゲロゲロ」など、使うだろうか。いうまでもないことであろう。以上は、「絶対的にまずい」と思われることである。だが、ふとした表現にも合否を分けるところがある。「わたし」より「わたくし」と自分を表現したほうが、面接官に「意気込み」が伝わるのは事実である。些細なことから注意したい。(追記:最近気になる言葉つかいとして、「なので」が挙げられる。「なので」は、あまり使わないほうがいい。なぜなら、この言葉つかいをよく思っていない面接官がいるからである。面接官は、いうまでもなく受験生よりも年上なので、こうした言葉に違和感を持っている場合が多い。Nov.26.2011)

 第二に、「はじめに」でのべた「教育職員養成審議会」答申を踏まえつつ、教員としての資質能力を常日頃から磨いておこう。教員としての使命感、責任感、行動力、指導力や、寛容さ、柔軟さ、協調性、謙虚さ、忍耐強さなど、まとめていえば人間としての魅力を一歩一歩着実に身に付けていこうではないか。「教員の常識は社会の非常識」などと無責任なマスコミが報じているが、そんなことはない。教員としての魅力や「常識」は、その個人のもつ人生観や世界観が基盤にあり、それは「社会」から影響を受けつつ形成されるものであろう。したがって、「社会の常識」と「教員の常識」がまったくすれ違うことなどありえないのである。とすれば、教員を目指すものはしっかりと社会を批判的に観察し、豊かな「教員としての思想」を形成しなければならないといえよう。

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