集団討論についての覚書・7

人物重視試験のおおきな壁

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例題 3


          次に、5番目の「『知識を与える』授業にならないようにするにはどうすればよいか」について考察していきたい。そろそろ慣れてきたであろう。ここでも、思いついたことを書き出してみよう。
   

 1の課題が、生徒指導にかかわる議論を求めているとすれば、2の課題は学習指導について考えてほしい要素をもっていた。では、この3の課題はどうであろうか。この「課題の本質」は、ずばり、「生きる力」とはなんですか、ということである。このように「課題の本質」を見抜くことを「課題の読み替え」といっておきたい。ではなぜ「『生きる力』とはなんですか」が、隠された「課題の本質」であるといえるのか。

 「『知識を与える』授業」とは、すなわち、従来型の授業を意味しよう。なぜなら、とにかく記憶せよといわんばかりで、詰め込み式の教育がまかり通り、受験地獄を形成してきた基底に、学校の授業があったと考えられるからである。そのように「ならないようにするにはどうすればよいか」。ここで、教育原理的な知識、答申理解が必要になる。知識の伝達は必要最小限にせよ、いいかえれば、基礎的・基本的な知識の確実な定着を目指せ、というような決り文句をどこかで聞いていないか。それは、1998年7月の教育課程審議会答申で、そして学習指導要領で、明示されている。とすれば、そこで主張される体験学習、問題解決学習が、知識伝授の従来型授業を批判的に捉えて提案されたことを思い出すべきである。体験学習や、問題解決学習は、何のためにするのか。「生きる力」を養成するためである。主に教育課程のどの領域で、「生きる力」は養成されようとしているか。いうまでもなくそれは「総合的な学習の時間」においてである。

 このように「課題の読み替え」をしていけば、結局、「『知識を与える』授業にならないようにするにはどうすればよいか」は次のように「翻訳」されよう。すなわち、「従来の詰め込み式の授業形態から、児童生徒の主体性を重んじる授業へ転換し、自ら課題を見付け、自ら判断し、問題を解決していく生きる力を身に付けるように指導していきましょう。そのための主な時間である『総合的な学習の時間』で何をしましょうか」ということが、題意に沿った「読み替え」といっていい。この新しく読み替えられた質問に答えていくことこそが、討論の筋道を示すことになるのである。

 誤解のないように付け加えておきたいことがある。ここで解説したこのテーマの「読み替え」は成立しているが、これだけしかないというのではない。「総合的な学習の時間」でなくとも、従来教科の質的な転換でも、「知識を与える」授業を乗り越えることができるからである。この切り口で討論を進めるのも悪くはない。間違いではないと思われる。ただ、学習指導要領の改訂を念頭に置きつつ、教育時事的な観点から推しても、「総合的な学習の時間」に触れるのが、「面接官うけ」がよいと考えられるのである。

 以上、3つの課題について考えてきた。そこで、「パターン」ということに立ち返りたい。ある程度課題について考えていくと、おのずとそこに似通った論点が潜んでいることに気がつくはずである。前回、前々回の例題を含め3つの課題は、順に、A・学習指導課題、B・生活指導課題、C・時事的課題と分類することができる。上の15個の課題も、おおよそこのどれかにマッチするのである。たとえばその分類は、

A・学習指導課題・・・・・2、3、6、14
B・生活指導課題・・・・・1、4、7、8、9、12、13、15
C・時事的課題・・・・・・5、10、14


 となるかもしれない(断定ではないですよ!)。

 もちろん、こう簡単に割り切ることはできないが、おおよその目安ということである。時事的なエッセンスはどの項目にもかかわってくる。とすれば、討論の課題に対応して、それぞれの分野の教育学的知識を自分のものにしておかなければならないであろう。それがすなわち「血の通った」教育学的知識の養成ということにほかならない。教育委員会が求めているのは、こうした落剥しない、地に足のついた教職教養であり、それを実践できる教員といえよう。
 以上、ながらく「集団討論に関する覚書」を述べてきたが、これで終了する。願わくば、ここで解説していない残りの課題についても考えていただきたい。


付記・「残りの問題」について、今後まとめてアップしていきたいと思います(Feb.7,2002)

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