いのち

すずかさんの投稿へのコメント

 我々人間だけでなく、地球上の生物すべてに共通する
「いのち」は、ものの大小に関わらず尊重されなければ
ならない。今日私たちが生きていられるのは、あらゆる様々な
          ⇒生きていくことができるのは
「いのち」に支えられているからである。だが、人間は
                           ⇒「我々」といい、「私たち」と書いている。どちらかに統一を。「人間だけでなく、この世におけるすべての生き物の「いのち」を私たちは尊重しなければならない」か。あるいはもっといい表現を見つけてください。
ともすれば地球上でいちばん偉いと思い、傲慢になりが
        ⇒「そのことを忘れ」を挿入
ちである。しかし、日々の生活を振り返ってみると、人
間の「いのち」は人間以外の「いのち」がないと存在し
ないことにハッと気が付く。そのことを、未来を担う子
  ⇒このあたりは繰り返しの内容なので削ってよいでしょう。「支えられている」というのは、「他の「いのち」がないと存在できない」と同意味だからです。
どもたちにもしっかりと伝えたい。
 昨年、私は小学校で2年生の学級担任をしていた。1
学期の初めのことである。私は給食時間の残飯の多さが
気になっていた。だが、子どもたちは全く気にしてはお
                  ⇒お構いなしに
らず、その日も当たり前のように自分のパンを半分ちぎ
ってはパン箱に返す子が、次から次へとやって来た。
 ⇒この話自体はよくわかる。だが、前段に、生きとし生けるもののいのちを大切にしようという趣旨のことを書いているので、パンでは、ありゃっりゃ、とならないか。肉を残すとか、魚フライ(ワタクシが好きなんです!)を残すとか、「いのち」を奪わないと食すことのできない例が出てくるのだろうと読み手は想像していますよ。
 「ねえ、このパン、捨てられちゃうんだよ」と言う
                    ⇒賛否両論ありますが、ワタクシはカッコの中の最後の句点は、つけない主義です。以下同。
私の言葉に、子どもたちの答えは「だって、いらんねん
もん。」であった。さすがに脱力感を感じたが、そのと
き「いのち」の授業をしなくては、と思い、算数の時間をやめ、急遽5限目を道
徳の時間にした。低学年の子どもたちには少々難しいか
   ⇒に切り替えた。
とは思ったが、その日の残飯が食べられれば死なずにす
む人々がこの地球上にたくさんいることを話した。そし
                       ⇒残飯を食べれれば助かるというのは、どうも言い過ぎでしょう。筆を過ったのでしょうね。「日々の食事に困っている人もいる。そのことに思いを致せば、私たちは食事を安易に残してはいけないね」と諭す、ということですね。
て、今日いただいた食べ物には調理される前に「いのち」
があったこと、その「いのち」を調理していることを話
した。「捨てられるために殺されたのではなく、みんな
   ⇒ここで、前段のパンではちょっとマズイかなと気付いてほしかった。
の体で栄養になれるから、動植物の「いのち」を無駄に
             ⇒ここに植物もいれて考えているのですか・・・
してはいけないんだよ。」と話す私を、どの子も静かに
しっかりと見つめていた。次の日から残飯は驚くほど減っ
た。自分の「いのち」はたくさんの「いのち」に支えら
れていることが、ほんの少しでも理解できたからだろう。
 私は、常に命の尊さを子どもたちに伝えていきたい。
      ⇒最後まで、「いのち」で表現しよう。
上記のような場面だけでなく、人の命、動物の命、植物
の命、全ての「いのち」を尊重する子どもを育みたい。
⇒この最後の2行は削って、まとめを考えてほしい。「体験的な道徳教育」ということがよくいわれる昨今、「いのち」にかかわっての体験的な指導の実践例をテーマだけでも明示するなど、上の経験談を際立たせる計画を提するのはどうでしょうか。このようなテーマが出題されたときに、道徳教育の重要性を訴える答案は多くなります。100人いれば90人はこういう論調のものとなるでしょう。だからこそ、具体的な経験談や実践的な提案があると、より一層目に止まると思うのです。「いのち」というテーマが出されたときは、すずかさんの給食の例や、宏さんの人命の尊さの例など、誰しもが一度は思い、考え、悩む実体験があるものです。そこにとどまらず、だから学校教育で何ができるのか、自分は教員として何ができるのか、掘り下げた言葉がほしい。それは、教師としての自覚がホンモノであればあるほど、素直な表現を伴って出てくるものといえます。

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