21世紀の教育について

ともかさんの投稿へのコメント

 21世紀を迎え、日本の教育を見直す時期がきている。
私が転換の対象に目をつけたところは学校教育の授業体
勢である。
⇒残念ながら、「目をつけたところ」は、ともかさんだけが「つけ」ているのではなく、ほとんどの方が「つけ」ているでしょう。少なくとも、少人数教育の実施がすでに各自治体で実行されているのをみても、そしてそこで個別指導やグループ別指導をやっていることからも、ともかさんの考えは一般的なものに過ぎません。採点官はこの書き出しを読んで、どのように感じるでしょうか。ワタクシからすれば、これでは、大げさすぎますね。
 まず、日本人とアメリカ人の独自性を比較して考えて
              ⇒「独自性」というより、「国民性」とすれば、下の「個人差」ということを説明しなくてよくなります。
みる。個人差があるので一口に決めつけることはできな
いが、日本人の特徴といえば努力家で真面目、しかし積
極性に乏しく、集団に入ると目立つことを嫌がる傾向が
ある。一方、アメリカ人の特徴としては自由で、自分の
⇒最近でも日本人は「集団に入ると目立つことを嫌がる傾向」を持っているのでしょうか。ワタクシは、日本人の個人としての「ひ弱さ」を認めるものではあります。まして個人としては「ひ弱」なのに、なんらかの集団に所属すると態度を豹変し、自分が強くなったと勘違いしたり、数を頼りにしたりするのをみると、寂しい感じを抱きます。それゆえ、主体性、自主性を養成せよと文部科学省はうるさいわけですね。とすると、文科省は要領の生きる力の定義のところで、もっと「責任を伴った」主体性と書くべきだったでしょう。なぜなら、主体性はいいように耳朶に響きますが、自己中心と紙一重だからです。問題を解決するためなら方法はなんでもいいというわけでもないでしょうから(ちょっと話題が違いますが、ブッシュの「(イスラム圏の邪悪な考えの持ち主よ)かかってこい」発言は、アメリカ版「中華思想」を赤裸々に語ってます)。ところで簡単な現代若者論になりますが、今日の「若者」は集団の中ですら自己を主張しようとしているのではないでしょうか。しかし所属集団によってその態様は異なります。つまり、その「集団」が学校なのか、その他なのかによってちがいます。学校において「目立つ」=自己主張がアッケラカンとよい形であらわれるとすれば、リーダーシップの発揮であるし、陰湿な形をとれば、いじめを助長する否定さるべき「音のない主張」になるのだと思います。「音なく目立つ」というのは変ですが、個人が他者に対していかなる態度決定をするか、そうした「心の独立」を育むのがワタクシたち教員を目指すもののなすべき仕事でしょう。学校以外のその他の場面では、目的意識が鮮明であるがゆえにか、つまり、学校のように強制的に集団に組み込まれるわけではないので、それなりに良好な「目立つ」行動になっているようです。また日本人が努力家であり、まじめであるというのは、幻想かもしれません。答申で、「まじめな態度を嘲笑するな」とさかんにいい、他人の学習する権利を侵害する行為をとった児童に対して厳しい処置をとる、つまり出席停止に及んでいるからです。ワタクシは、ともかさんの議論は、古いと感じています。
意思をはっきりともち、多国籍の国であるため、個性と
習慣を尊重をすることを大切にしている。しかし、日本
のような伝統や歴史を十分に持っていないのも現実である
 どちらも、良くも悪くもその国ならではの独自性を発
揮している。また、その独自性が鏡のように学校教育の
授業体勢に映し出されているように感じる。
 アメリカの授業体勢は、机は自然と丸く並べられ、ど
の授業も自由に自分の意見を述べ、常にリベートを行っ
ているような形態である。そこではアメリカ人の独自性が
上手く発揮され、生徒に無理のかからない授業体勢だと
感じた。一方、日本の授業体勢は昔から、教師一人に対
⇒なぜ、こう「感じた」でしょうか。留学体験からでしょうか。そうであればそれを書いてほしいところです。
して30〜40人の生徒といった、一斉教育の形態がと
  ⇒数字は一マスに2文字までOKです。
られている。一斉学習は、知識・技能の組織的かつ効率
的な伝達を図ることができるメリットがある反面、教師
による一方的な教育になりがちである。これでは日本人
                  ⇒この文章は、これでいいのでしょうか。「これでは日本人 の苦手な集団で目立つことを嫌がるという部分が強調されてしまう」は、意味がわかりにくいですね。もっとスンナリ書いて下さい。
の苦手な集団で目立つことを嫌がるという部分が強調さ
れてしまう。分からないところも流してしまい、自分の
意見をしっかりもっていたとしても外に出せない環境を
つくってしまう注入教育になりがちである。では、どう
したら日本人の独自性を生かして、世界に上手く発揮で
                ⇒「世界に上手く発揮できる教育」とは、「いかにして日本の教育を世界に通用するようなものにできるのか」といったことでしょうか。
きる教育ができるのか。
 まず、集団という部分を解消するために個別学習や少
人数のグループ学習への転換を考えた。少数ならば教師
           ⇒ここなど、ともかさんが1人で考えたように書かれていますが、それはおかしいでしょう。
の目も行き届き、個人の意見も発言しやすい。ただし、
教師の数の増加させなければいけないことで、コストが
かかるというデメリットもあるが、それだけの価値は十
分にある。あと、総合学習の時間を多くつくり、ゆとり
のある学校作りも21世紀の教育の課題だと思うであろう
 少しづつ変わる日本人に合わせ、日本ならではのよい
伝統を残しつつ、教育や学校も今、変わらなければなら
ないときではないか。
⇒全体的にいって評論家風で、ともかさんの教育を担当する意志が伝わってこない感じがします。頭でっかちのイメージがあります。もっと素朴に、謙虚に書いてみるべきでしょう。July 12,2003

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