私の目指す教師像

ちばっ子さんの投稿へのコメント

 私は、生徒に生きている喜びを感じさせてあげられる
教師を目指している。
         ⇒「感じさせることのできる教師を目指している」でしょうか。ところで、「〜してあげる」には問題があって、「うしろのこくばん」でも触れたのですが、「〜してやる」が正しいでしょう。これは世代間で異論があるようです。ワタクシなど中年でも、「あげる」という表現に抵抗感があります。まして、50代の面接官などは基本的に受け付けないのではないでしょうか。まあ、聞いてみないとわかりませんが。たとえ生徒であっても、ワタクシは「生徒に〜してやりたい」ではないかと思うのです。
 私は、普通高校、職業高校で講師を経験した。そのな
かで、多様な生徒達の姿を目の当たりにしてきた。無気
力、緘黙、反抗、過剰元気、生徒の実態は本当に様々で
あった。また、普通に問題のないとされる生徒でも、目
がうつろだったりした。私は今の生徒達に共通している
   ⇒「問題なく目がうつろ」とは、どのような状態なのでしょう。ただたんに「ぼんやり」しているだけなのでしょうか。
ことは「目標がない、わからない」「自分の将来がイメー
ジできない」ということだと強く感じた。
               ⇒目的意識の喪失が、無気力を生むことはままありますが、それは緘黙や過剰元気(これは過剰適応のことかな)などの「病因」が生み出す無気力とは性質が違うと思いますが、どう考えていらっしゃるのでしょうか。それから、この文章では、ちばっ子さんの勤めた学校の生徒全員が目標を持っていないように読めるのですが、実際どうなのでしょうか。
 最近、日本は物質的にはとても豊かだ。ただ単に生き
              ⇒豊かである。
るだけなら何の問題もない。そのため、本来の人間らし
    ⇒「ただ単に生きる」とは、どのような生き方を意味するのですか。「働いて食うて寝る」という生活の繰り返しを指すのでしょうか。ちょっとわかりませんね。裕福な状態にないワタクシなどは、毎日が大変です。
さである「何かを追求する」機会も減っている。自分が
目指すものを見つけた人間はとても美しく生きるている
喜びに満ち溢れている。生徒達にもそれを教えたい。す
なわち、「自己実現を目指すこと」であると私は考えて
いる。
   ⇒「本来の人間らしさである『何かを追求する』機会」ではよくわかりません。いいたいことはわかりますが、生き甲斐の発見とか、将来を見据えた生き方であるとか、目的を設定してそれを独力でクリアしていく精神力だとか、表現を工夫して下さい。もちろん自己実現の問題です。
 自己実現を目指すためには、まず自分を知ること、そ
して、受け入れること。そのための教師としての役目は、
               ⇒「教師を目指す私の役割は」としましょう。「役目」でもいいですが、「お役御免」とか、「お役目ご苦労」とか、古風な感じがします。使いがちな言葉ですけどね。
集団生活を営む中で、一人ひとりのその人らしさ、すな
わち個性を見極め、それをよい方向に伸ばせるよう支え、
導いてゆくことである。私ができることは、まず、生徒
達を心から受け入れること、そして、でき得る限り生徒
一人ひとりに目を配り、生徒の良い部分を見逃さないこ
と。そしてそれを本人に気づかせたり、教えてあげるこ
とだと思う。
 ⇒じつは、この段落に書いてあることは、ちばっ子さんが「思う」だけでなく、これを読んでいる全員が「思って」います。先生を目指しているものなら100人が100人ともこう考えているはずです。つまり、一般論なのです。だれでもこんなことくらい書けます。これでは、他の受験生との間に差を設けることはできません。多くの論作文解答用紙の中に埋もれてしまうでしょう。
 私は教師として、基本である、生徒との信頼関係をし
っかり保つことを、常に肝に銘じている。機会あるごと
に話しかけ、話を聞き、明るく、楽しく振舞うよう努め
ている。
 ⇒ここも上での注意と同じです。そうしますと、書くべきなのは、ちばっ子さんなりに、どのようにして生徒の個性を見出し、それを引き伸ばしてやるのか、支援していくのか、具体的方法です。「生徒との信頼関係をしっかり保つことを、常に肝に銘じている」と述べていますが、そう考えていない教採受験生がいると思いますか。では、信頼関係をどうやって深めていくのでしょうか。日記の交換、連絡帳の交換、心理学に基づくテスト(何らかの適性検査)、個別の面談、家庭訪問、など、生徒指導の方法論に立脚しつつ、あなたの行うべきことを一つに絞って掘り下げ、論を展開してほしいのです。もちろんここにあげたほか様々なアプローチがあると思われます。
 始めに述べた生徒達の多くは、愛情や承認の欲求に
 ⇒「はじめに」と、平仮名でいいでしょう。
飢えていると感じた。そんな彼らに目標をもってもら
ためには、普通以上に人間としてつながりを深める必要
がある。私は生徒の可能性を信じ、一人ひとりの生きて
いく喜びを見つけられるような教師を模索し続けていき
たい。
⇒途中に書いた注意事項ですべてです。これに付け加えるとすれば次のことでしょう。最後のところで「普通以上に人間としてつながりを深める」とありますが、これはなにを意味しているのでしょうか。そして、その方法はなんなのでしょうか。よくわからないです。教師として、愛情に飢えている生徒に、保護者に代わって愛情を与えることなのでしょうか。そうだとすれば、ちばっ子さんは、彼らに、どのような愛情を与えたのでしょうか。「教育や人格形成の最終責任は家庭にある」と答申が主張するとき、「愛情を与える」という教員の役割を、どこまで踏み込んですればいいのでしょうか。一つひとつの事柄について、いままで勉強してきた教職教養の力と、ちばっ子さんが教育実践から学んできたこととを重ね合わせて、ちばっ子さんなりの視点から論作文を仕上げてください。それが数ある論作文の中で埋もれないコツです。期待しています。

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