ryanさんの投稿へのコメント

 私は今、人生という旅の途中にいる。定めた目的地を
目指し歩みを進めている。しかし、これまでもそうであっ
たように、その目的地は途中で出会う多くの人や直面す
る困難などによって変わるかもしれない。だが、それは
それでいいと思う。むしろ私の行き先を左右するほどの
そうした出会いに恵まれたことを私は感謝したい。
⇒「旅」の主体を「私」に置かず、「児童・生徒」に置くべきだと思います。自己の経験を語るのは、このサイトでも強調していますし、それはそれでいいのですが、最初にそれを持ってくるのはいかがなものでしょうか。それから、この段落は、説明を端折り過ぎで、「そうした出会いに恵まれたことを私は感謝したい」の内容について、下の段落群を読んでわかるものの、この段落はこの段落で読み手の理解がすきっとするように書き直しましょう。
 これまでの私の旅において最も大きな出来事は、中学
校1年生の時の担任の先生との出会いだった。その当時、
私は友人関係がうまくいかず、教室内で孤立した存在
なっていたであった。クラスの誰とも言葉を交わさない日もあっ
た。辛かったが、負けず嫌いな私はそのことを誰にも言
えないでいた。そんなある日の放課後、私は担任の先生
に、誰もいない美術室に呼ばれた。そしてお互い向き合
うと、先生は開口一番、
「強がらんでもいいんよ。」
⇒ここは、強調するために、工夫を凝らそうとして会話文を独立させていますが、「地の文」として、普通に書いていいと思います。
と言われた。その言葉を聞いた時、私はそれまで胸の中
に閉じ込めていた感情が噴き出し、先生の腕の中で大泣
きしてしまった。先生が私の気持ちをちゃんと分かって
くれていたことがたまらなくうれしかった。
 それからだった。私が教師という道を目指そうと思っ
たのは。もちろん、今に至るまで紆余曲折ありその都度
  ⇒倒置文はさけたほうがいいかもしれません。
目的地も変わったが、やはりその時の感動は大きく、今
はその道に向かって一直線に進んでいる。
 私は旅には2通りの旅があると思う。1つは決めた目
的地を目指す旅、もう1つは目的地を探すための旅であ
る。今、無限の可能性を秘めた子どもたちはどんな旅の
⇒「2通りの旅」といいますが、旅=人生であるので、やはり「一度しかない人生」といいますし、かけがえのない一度切りの旅=1種類の旅ではないでしょうか。たしかに、その旅が紆余曲折するかもしれないし、波乱万丈かもしれない。でもそれは、1つの完結した「物語」になると思うのです。ひょっとすれば、「目的地を探すための旅」も「人生という大きな旅路」に含まれるのでしょう。
途中なのだろうか。前者の旅の途中の子もいれば、後者
の旅の途中の子もいるだろう。一人ひとり違うその旅の
途中で、私は教師として彼らに出会う。彼らの発するサ
インを見落とすことなく、彼らの全てを受け止めたい。
そして私が出会った先生のように、彼らの旅によい刺激
を与えられるような教師をめざしたい。
⇒「あてのない旅」に方向性を与えることができれば、教員として、これに優る支援はありません。子どもたちはデカルトの「迷いの森」のように、もがきつつ光明を求めています。そこにどのような導きの糸をryanさんが垂れるのか、そこに重心を置いて、客観的に子どもを見つめる目からの論作文作成を期待します。すなわち、ご自分の経験談を書くだけでなく、どのようにご自分の教育理念に昇華しているのか、そこにこそ読み手はうたれるのだと思います。Sept.25,2003

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