私の目指す教師像

さるさるさんの投稿へのコメント

 私は「生徒が自分自身で物事を成し遂げることを支え
ることのできる教師」でありたい。
⇒「」を使っても、使わなくてもいいところです。「私は、なにごとも自分の力で成し遂げられるよう生徒を支援する教員を目指している」でもいいでしょう。
 中学生対象の野外キャンプの指導員をしていたときの
ことであった。指導員をするのが初めてだった私は、張り切っ
て担当していた中学生に一から十まで指示を与えてしまっ
た。支持を与えることに夢中懸命になってり過ぎていた私が、ふと冷静になって彼女達の
                                     ⇒中学生は女子生徒ばかりですか?
顔を見てみると、何とも腑に落ちない顔をしていた
れから、考えた結果、彼女たちの力を信じた上での声か
けを心掛けた。その後、彼女達は自分たちの力で火をお
こし、この上ない笑顔を見せた。この経験から、私は最
初に挙げたような教師でありたいと思うようになった。
⇒野外活動のストーリーを想像するよりないですね。おそらくは、火をおこすのであるので、キャンプ用品の扱いに関することでしょうけれども、もう少しだけわかるように書きましょう。たとえば、「腑に落ちない顔をしていた。私は、ハッとし、注意をさしはさむ態度を改め、生徒たちをもっと信頼し、見守るよう心懸けた。そうすると、彼女たちは苦心しながらも自分自身の力を存分に揮い、最後にはキャンプの課題であった『火おこし』を成し遂げたのである。この経験は、教員としてのあるべき姿を考え直させる契機となった」などでどうでしょうか。
 まず、このような教師と関わる生徒は、教師が自分を
信じているのだという自信と誇りをもつ。これは、思春
⇒この文章は、意味がわかりません。したがって、「これは」の内容がつかめません。
期の中学生にとって、自分自身の力で考え、答えを導き
出し、行動しようという、いわゆる「生きる力」を培う経
験となる。
 そして何より、生徒は自分で行ったことに達成感を味
わうことができる。このような生徒の成功経験の積み重
ねを支えていくことは教師にとって最も大切な仕事であ
ると考える。
⇒ここで段落は不必要でしょう。
 ところが、この「支えていく」ということは非常に困難
であることも事実である。声かけや見守りの姿勢を少し間違
えてしまうと、こちらは意識していなくても、生徒は押
し付け、あるいは放任と取ってしまうことも十分に考え
られるからである。
⇒「声をかけるタイミングを間違えたり、見守る姿勢を忘れたりすれば、私は意識していなくても、生徒が押し付け、あるいは放任とみなしてしまうことが十分に考えられるからである」でいかがでしょうか。
 したがって、私は、自分に常に「生徒が自分の力で物
事を成し遂げることを支えることができているか」を自
⇒ここの表現は第1段落と同じであるのは当然です。ほんのり変えるとすれば、「自分の指導にメリハリがあるか、相手の行為を辛抱強く待ち、支援できているか」でどうでしょうか。
らに問いつづけることのできる教師でありたい。生徒の
反応、表情、ことばから感じ取り、考えたことから自ら
を発展、成長させていくことが教師にとって何より必要
であると私は考える。
⇒最後は、収まりが悪い印象です。「生徒の反応、表情、ことばから感じ取り、考えたことから自らを発展、成長させていくことが教師にとって何より必要であると私は考える」を最終段落の最初に置いて、「したがって」以下をつなげるといいでしょう。また、「自分の指導方法に反省を加え、修正し」を、どこかに挿入してもいいでしょう。このように多くの注意点は挙げましたが、意欲作であると評価できます。自分にしか書けない体験を論作文に表現する努力は、素晴らしいものです。こうした自己経験と生徒指導、学習指導を結びつけて考察しようとするところに、「教育的な気付き」があると思われます。あとはこれをどううまく表現するか、ですね。期待しています。Mar.9,2004

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