私の目指す教師像

宣長さんの投稿へのコメント

 私たちは自分で考え、自分で判断して生活しているは
ずだ。しかし、授業や部活など学校における活動はさせ
られている感覚が強い。受身の姿勢で生活しているから
である。自分で考えて行動していないのだ。様々な情報
⇒この書き出しは、学校教育に対しかなり挑戦的で、評価が分かれるところです。ほんとうに「させられている」ばかりなのか、これは、個々の事例で多種多様の結果があるでしょう。しかしまた、「自分で考えて行動していない」からこそ、政府文部科学省は「生きる力」を唱えているわけですから、一理あります。このように書くかどうかは、宣長さんの判断にお任せします。ワタクシはオススメしません。
が氾濫する現代を生きるためには、自分で考えて行動す
る主体的な力が必要だといえる。以下主体性を引き出す
実践について述べていく。
 生徒の主体性を引き出すためには、「自信」をもたせ
ることが必要である。「自信」とは、やればできるとい
う気持ちのことだ。やればできるという気持ちが、主体
的な姿勢を生むと考える。
⇒「やればできる」は、よくいわれます。ワタクシも、幼い頃から両親や先生に幾度となくいわれ続けてきました。別の言葉では、「やる気がないのか」など、いわれたものです。それを信じていい結果を出す児童生徒もいれば、追いつめられる子もいます。そのあたりは考えるべきなのでしょう。ワタクシも、どちらかといえば、この精神論が好きです。ただ、こうした精神論が、時代遅れになりつつあることを自覚しています。軟弱な教育対象に対して、このようにいいたい気持ちは、有り余るほどあります。ところが、世代的にもうこうした考え方が受け容れられないのでしょう。寂しいことです。
 私は小学校の時、水泳がとても苦手であり、もぐるの
も嫌いなほどであった。ある水泳の時間のことである。
⇒ここは、どうせならインパクトをもっと出すため、「水に触れるのも嫌だった」と書きましょうか。一貫性ある主張を宣長さんが展開しようとするのならば、緩んではだめです。しかし上に書いたように、オススメはしません。
私は平泳ぎが上手ということで、クラスのみんなの前で
ほめられた。うれしい気持ちと同時に、自分はやればで
     ⇒このあたりの急展開は根拠がわからず、論旨がへなへなです。2、3行のうちに、もぐるのが嫌いな状態から平泳ぎが上手といわれても理解に苦しみますね。
きるという気持ちにもなれた。それまで消極的な子ども
あったが、その出来事をきっかけに積極的な心が芽生え、
友人も多くなった。
 このような「自信」を数学の指導のなかで培っていき
たいと考えている。数学は苦手な生徒の多い教科である。
⇒個々の分野の「自信」を他の分野の「自信」に転換しようとすることは、教育手法として考えられる一方、それぞれの生徒の個性や長所をどのように受けとめるのかの視点が欠落してしまう恐れもあります。最終段落に書かれているように、生徒は「十人十色」なのですね。
数学が苦手なために、学習すること自体を嫌いになる生
徒も多いだろう。そのような数学をできる数学にするの
である。数学は反復練習すれば、多くの問題は解ける。
問題が解けると楽しいし、数学の理解も深まる。簡単な
問題を何度も解くことが大切である。数学をできる科目
にすることで、「自信」をもたせたい。
 以上、私の考えは生徒に「自信」を持たせることで、
主体性を引きだすことにある。社会は主体的な人間を必
要とする。「自信」を持たせるには、様々な方法がある
だろう。生徒も十人十色である。あらゆる場面に対応で
きるように数学以外の分野も積極的に学び、生徒の力に
なれるよう努力を重ねていきたい。
⇒努力論や精神論だけでは、数学がなんともならないことを自覚しているワタクシは、この論作文を読んで、宣長先生はなにをどうやってくれるのか、期待を持ちます。ただ、そうした方法論がこの論作文からはみえてきません。それは当然で、精神論だからです。この精神論の中身をしっかり書ききることができれば、それなりの評価はあると思われます。問題は、それをふまえ、峻厳さと慈愛に満ちた教師像をどのように描くかということに尽きますね。Aug.26,2004

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