足元からの環境教育

みかリンさんの投稿へのコメント

 物が豊富にあり、何でも手に入るこの時代、子ども達
は、何不自由なく育ってしまった。そのため、見た目が
⇒いいたいことはわかりますが、婉曲的に表現した方がいいでしょう。「何不自由なく育ってしまった」というのは、いいことなのか、悪いことなのか、幸福追求は国民の願うところです。問題は、「もったいない」という感覚を忘れてしまった現状にあるようです。「飽食の時代に生きる私たちは、豊かな食生活を享受する一方で、なにか大切なことを忘れてしまっているように思われる。今日の子どもたちは、食べ物の見た目にこだわったり、好き嫌いをいったりする。食育をしっかり考えなければならないいま、私は教師をめざすものとして、世界の食糧危機を伝えるだけでなく、食生活の基礎にある環境保全についても子どもたちに主体性をもって考えるよう指導したい」などでどうでしょうか。
悪い野菜や果物は食べようとはせず、好きな物を好きな
分だけ食べて後は残して捨ててしまうというのが現状で
ある。同じ地球には、食べ物もろくに食べられず、飢え
で死んでいく人々が何人もいるというのに。環境教育と
いうと、環境保全など世界規模の問題であるが、このよ
うに食生活など、まずは身近なことから目を向けていく
べきであると思う
     ⇒「と思う」のオンパレードですね。もう少し文末表現にも気を配りましょう。
 教育実習に行ったとき、給食を好きな物だけ食べて後
は全部残してしまうという子がたくさん見受けられた。
⇒この行は、上の段落にも出てきていますので、別の表現で書いてみましょう。
しかも、その量は全員の量を合わせると、かなりの量で
あった。給食で嫌いな物を無理やり食べさせるというの
は、その子の人権を無視しているため良くないと思うが、
      ⇒この「人権」は難しいところです。下にいう「ありがたさ」の観点からすれば、ある程度食べさせるのも「教育」になるかもしれません。無理に食べさせられた経験のあるワタクシは、そのやり方に批判的ではありますが、当時の先生の指導方針を理解していなかったことも反省としてあります。食べられることのありがたさは、家庭教育との連携の上で成立するでしょう。そうしたことも書き込んでみましょう。
相当な食べ残しの量を考えると、食べ物を何不自由なく
食べることができるありがたさを、分かっていないので
はないかと思う
 それを理解させるために、食べ物がどうやって作られ
るのかを調べ学習させたり、野菜を育てるなど食べ物を
最初から作るという体験学習を行ったりして、実践して
いきたいと思うなぜなら、ただ、食べ物を粗末にしてはいけない
と教えるだけでは何も実感できないと思うからである。だから、自
分で調べたり、実際に作ってみたるすることでれば、その苦
実感させたいできよう。そうすれば、食べ物を粗末になどし
なくなるのではないかと考える。
 このように、自分達の食生活を見直した上で、同じ地
球上には、飢えや貧困で死んでいく子どもたちがいるこ
とを、視聴覚資料を有効に活用して伝えていきたい。そ
の上で、少しづつ環境問題にも目を向けさせ、これから
の環境について考えさせていきたいと思う
⇒最後のまとめは、結局、環境問題に目を向けさせる前提として食生活の見直しを提示するにとどまっており、テーマの環境教育について示唆しているだけに終わっています。ちょっと物足りない感があります。全体の印象として、頭でっかちですので、具体的な教育実践の記述に文章を割くといいでしょう。たとえば、どのように視聴覚教材を使うのかなどです。この論作文では、印象論の域をでないように思われます。Dec.29,2004

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