私の目指す教師像

みやけんさんの投稿へのコメント

 私の目指す教師像は、京都にある伏見工業高校ラグビー
部の監督、山口良治先生のような存在である。山口先生
は、当時、京都一不良生徒が多いと言われていた当高校
に赴任し、不良生徒一人一人ひとりに体当たりでぶつかってい
き、生徒との信頼関係を築いていった。そしてついには
問題児ばかりで、弱小だったラグビー部をまとめあげ、
全国大会優勝へと導いたのである。
⇒こうした書き出しには、誰でも興味を示します。その意味では「ツカミはいい」です。ただし、京都一不良が多い高校とあからさまに書いてしまっては、採点官は笑いながらもどう判断しようかなと思ってしまいますよ。少なくとも、「問題児の多い」、あるいはちょっとくだけて「やんちゃな生徒揃いの」くらいで抑えておく方がいいのではないでしょうか。「山口先生」というように個人名を出すことは、ワタクシは構わないと思っています。
 山口先生の態度には、強い精神力と忍耐力、そして生
徒への愛情あふれている。こういうことを書くと、か
なりうさんくさく聞こえるかもしれないが、私は先生の
 ⇒こんなことは書く必要ありません。みやけんさんはアツい先生になりたいのですから、人にどう思われようともいいじゃありませんか。
ような「アツい」教師になりたい。生徒に何度裏切ら
れようとも、自分は絶対生徒を裏切るようなことはしな
い。時に生徒を激しく叱咤する。しかし、そこには正当
                   ⇒このあたりは、ご自身の経験なのか、山口先生をなぞらえての叙述なのか、判断に迷います。ご自身の意見なら、段落を設けてはっきりさせましょう。
な理由があり、その全てが生徒のためなのである。生徒
も理不尽に怒られたわけではないと分かれば、納得し、
素直に受け入れるものだと私は信じている。これは私自
身の経験に基づく理由によるものだが、一般的にも当て
  ⇒上と同じ注意ですが、この「経験」は叱った方ですか、叱られた方ですか。
はまるのではないだろうか。生徒をしっかり怒ってくれ
る先生は非常に少なくなったが、教師にとって絶対に
ゆ用な要素だと私は考えている。
⇒ここはなんですかね。「重要な」でしょうか。書いた後、読み直しておられないのですね。読んでいればこうした間違いはないはずです。本番では、目を皿にして読みなおすのでしょうけれども、ワタクシへの投稿だからといっておろそかにしないでください。ひとつひとつの積み重ねが大切ですから。
 山口先生は当時、「泣き虫先生」と呼ばれていた。し
かしそれは、先生が先生が精神的に弱かったからとか、
      ⇒ここも上といっしょです。「できた」と思ってからが大切です。
そういったそうした否定的な意味では決してない。生徒と真正面
からぶつかり、生徒がその気持ちに素直に応えてくれた
時、人目をはばからず、泣くのである。つまり、生徒を
愛しているのである。そうでなければ、本気で叱咤する
こと、生徒のために涙すること、そして先生の涙を見て
札付きの不良生徒達が涙することはないだろう。
⇒山口先生が「泣く」のは、TV的にデフォルメされていることも考えないといけませんが、第1の理由は「感動したから」でしょう。では何に感動したのか。それを推測し書くことがみやけんさんの論作文を引き締めるのではないでしょうか。
 これは極端な例かもしれないが、そういった気持ち、
すなわち、生徒に本気でぶつかっていくこと、一人一人ひとり
を愛することは、どんな学校、たとえそれが評判の新学
校であっても、教師にとって不可欠な要素なのである。
⇒「評判の新学校」というのはどういうことでしょうか。ここはよくわかりません。採点官に推測を余儀なくさせています。おそらく、伏見工業高校が「新設」であるということをいいたいのでしょうが、論作文を採点官はじっくり読んでくれるわけでもないので、わかるように書いておいた方が無難です。
長い年月を費やさなければならないかもしれない。しか
し生徒と腹をわって話し合い、生徒を愛し、そして愛さ
れる、そんな教師に私はなりたい。
⇒全体としてはイイタイコトに一貫性があるのでいいでしょう。文中の注意事項を参考にしつつ再度まとめなおしてみてください。その際、第3者的視点から見直してくださいね。Mar.1,2005

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