私の目指す教師像

みんみんさんの投稿へのコメント

 「子どもに寄り添い、共に歩く教師」これが、以前の
私の理想の教師像でしたある。しかし、先日カンボジアを訪
れ、私のそれは大きく変わりましたった。カンボジアで出会っ
た孤児院経営者の話しを聞き、そして物乞いをする人々の姿が、
私の教育観に影響したからである
⇒『道場』の注意事項をよく読んでください。論作文は「ですます」調ではなく、「である」調で書くのが基本です。かなりの減点対象になるでしょう。内容的に他者と違ういいものが記述されているのに、もったいないです。以下、この文体に関しては手直ししません。
 私が訪れた孤児院は、日本人が経営するものでした。
孤児院には、両親のいない子ども、性的虐待を受けた子
ども、栄養失調だった子どもなど、23名が共同生活をし
ています。そのような孤児院を管理するとき、私だった
ら「たくさんの愛情を注いでやりたい」と考えることで
しょう。掃除洗濯などの家事を共に行い、子どもがどん
なことを考えているのか気にかけることでしょう。
⇒ここは、みんみんさんの「感情」ですから、「〜でしょう」と推測ではなく、きっちりいい切った方がいいでしょう。
 しかし、その孤児院の経営者は、私と正反対の考えを
持つ人でした。管理者として、子どもとの距離を保ち、
情に流されることなく、冷静に子どもをみつめる人でし
た。また、「子どもが何を考えているのかを知る必要は
ない」とおっしゃっていました。私の信念と食い違うこ
のコメントに、私は戸惑いました。なぜ子どもに寄り添
い、話しを聞いてやらないのか。少々冷たくはないだろ
うか。
 話を更に聞き進めるうちに、彼女の教育観がみえてき
ました。彼女は母親ではなく経営者として、子どもの将
             ⇒ここは、「経営者」というよりも、むしろ、「本当の教育者」とした方が文脈上あっているのではないでしょうか。
来を考えていました。自分の限界と向き合い、長期的・
客観的な視野を持つことを心がけていました。
 「長期的・客観的」という言葉は、私の心に深く響き
ました。今までの私は目先の問題や状況を解決しようと
することのみにとらわれていたことに気がつきました。
何事も、目先の問題だけでは、解決とはいえません。今
後大きく成長する子どもにとって、どのような支援をす
ることが適切なのかを判断をするためには、距離を置き、
全体を見渡さなければなりません。児童理解を図ること
はもちろん大切ですが、それだけではいけないこと、長
期的・客観的視野を持って子どもと接する必要があるこ
とを、私は改めて考えることができました。
 子どもと遊ぶことが好きな私は、つい友達のように接
してしまいます。そのため、子どもの将来を考え、その
うえで適切な判断をすることが、私の足りないものであ
り、理想の教師像だといえます。孤児院という厳しい環
境だからこそ、大切にされているこの信念は、教育現場
全体にいえる基本原理であり、全ての教師が持ち続ける
べきものだといえます。
⇒内容的に訴えるものがあり、論旨も一貫しています。最後の段落では、「全ての教師が持ち続ける」のは当然としても、ここをご自分の信念として強調して書けば、みんみんさんの教師像がはっきり描けていいと思います。「私の足りないものであり、理想の教師像だといえます」のところに、もう少し手をいれ、はっきり書き切りましょう。また、カンボジアの教育体験がいつのことであるのか、どのくらいの期間たずさわっていたのか、明示するといいでしょう。Mar.25,2005

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