私の目指す教師像

こむささんの投稿へのコメント

 私の目指す教師像は、「おおらかな心を持った教師」
である。おおらかな心を持つ教師とはその意味するところは、常に自分自身の
心に余裕を持って、子どもたちに接することのできる教
師のことである。
 まず、授業や日常生活では、子どもたちに多くのこと
を考える機会を与えたい。ゆとり教育の中で、教師に与
えられた時間は少なくなってきているが、時間の許す限
⇒「ゆとり教育の中で、教師に与えられた時間は少なくなってきている」根拠を示してください。
り、子どもたちに考える時間を与え、その考えが熱する
まで待ちたいと考えている。なぜなら、子どもたちに早
急に答えを出すように促すと、萎縮してしまい、思って
いることや考えていることを素直に表現できないからで
ある。私は、子どもたちに自ら学び、自ら考える機会を
多く与えることが「生きる力」の育成につながり、自主
性を養うことになると考え、日々の授業の中で実践して
いきたいと考えている。
 私の小学校の恩師は、とても心の広い人であった。学
芸会の出し物の配役が決まらなくてもめたとき、ずっ
と黙って聞いていたが、喧嘩になる前に適切な助言を与
 ⇒「ずっと静観されていたが」にしましょうか。それから、読むと一瞬黙っているのはこむささん自身かなと思ってしまいました。
えてくれた。そのような先生の態度が、私の自主性の基
礎は培われたのではないかと考える。
そして先生との出
会いが、私の教師を目指すきっかけとなった。私も先生
を見習い、子どもたちに一方的に指導するだけではなく、
子どもたちの自主性を尊重し、適切な指導を与えていけ
るようになりたい。
 「おおらかな心」は、自分自身の生活のなかにゆとり
を持ち、時間や心に余裕を持たなければ、身に付くもの
ではないと考える。そこで、日ごろから私自身の心にゆ
とりを持ち、何事にも余裕を持って取り組めるように心
がけたい。そして、何か問題が起こっても常に冷静でい
られるように、自分自身の教養を高めていくよう、日々
            ⇒ここでなぜ「教養」なのか、わかりません。「自分自身を冷静にする教養」の中身はなんなのでしょうか。
努力していく決意である。
⇒下線部の文章がおかしいのは、読めば瞭然でしょう。文章を書く力量のあるこむささんですから、ご自身で直してみてください。しかし、全体的にうまく書けています。中間の恩師の話をどこにもってくるべきか悩みますね。きわめて忙しく、やればやるほど仕事がみつかる教職において、「おおらかな心」を忘れないよう願って止みません。これは皮肉ではありません。がんばってください。June 9,2005

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