私の目指す教師像

Askさんの投稿へのコメント

 私のめざす教師像は、生徒全員に対して、最大限の
可能性を「引き出す」教育のできる教師である。「教育
」は本来、この「引き出す」という意味の語源からきて
いるという。これは当然といえば当然のことで、教師に
      ⇒ここは削ってもいいでしょう。
よる直接的指導・伝達によってのみ生徒に能力が身につ
くのであれば、生徒は常に教師以下の能力しか持てない
ということになる。理想の教師とはそうではなく、無限
  ⇒たしかに理屈はそうですが、どうも表現上過激ですね。ワタクシは過激なのは好きですけど、採点官がどう捉えるかはまた別問題でしょうしね。
の可能性を持つ生徒を自分以上の人材として育てあげ、
社会へと送り出していける人物ではないだろうか。
⇒この文章は力強くていいと思います。
 方法として、何よりも教科指導の良質さは欠かせない
。教師の力によるところの大きい授業は、学習に対する
 ⇒「道場」トップページの注意書きにも書いていますように、「教師」をことさらに使用すると評論家風になってしまいますので、注意が必要です。Askさんがなにをするのか、なにができるのかをしっかり書いた方がポイントが高いですよ。
生徒の興味を喚起し、意欲を持たせる最もよい機会であ
る。この興味や意欲といった生徒自身の前向きさこそが
、生徒の中の力を引き出し、未来の選択肢を大きく広げ
てゆく。そのことをふまえ、現場の教師は、時代や世間
             ⇒ここも上の注意と同じです。どうも教育評論家のようです。Askさんが「現場の教師」になるということをお忘れなく。文章はうまいです。
の風潮にただ翻弄されるのではなく、常に自校の生徒に
とって何が最も大切なのかを考え、学力の維持・向上に
努めなければならないだろう。
 私の母校の校祖、新島襄は、自由を求めて国外逃亡し
、アメリカで勉学を積んだ。そして帰国後、どれほど熱
心に文部省役人への就任を求められても、「私一人が今
社会でできることは限られている」と、あくまで私立大
学建設にこだわり続けたとされている。当時中学生だっ
た私はこの話を聞き、非常に感動し、また改めて校祖に
対して尊敬の念を抱いた。出世を拒んででも自らが最前
線にいようとしたその姿勢を、私も教育者として常に忘
れずにいたい。
⇒新島に学ぶ姿勢が伝わってきて、教師像がはっきりしてきました。現在では私学も公教育担っており、その一部になっています。これはこれでいいのですが、採点官の立場からすれば、「じゃあ、同志社で先生やればいいじゃないか、わざわざ公立でやってくれなくていいよ」と感じないとも限りません。そこをうまくウェットに表現できないものでしょうか。公立の教員をめざすかぎり、阿る必要はありませんけど、教師像とともに「なぜ公立の学校の教員になりたいのか」を意識して論理を組み立てましょう。「自らが最前線にいようとしたその姿勢」に、ヒントがあります。
 教師自身が主役になる必要はない。あくまで縁の下の
力持ちとして、将来国の核となる人材を何百何千と輩出
することによって、大規模な社会貢献のできる指導者で
ありたい。この理想像に近づくために、私自身、今後も
努力をたゆまぬ覚悟である。教育は日本を変えると信じ
ている。
⇒大きくでましたね。その意気を買いたいです。国の核となることが大切な価値かどうかワタクシにはわかりません。国の核となることを新島が構想していたかどうかもわかりません。国に奉仕する覚悟なら、新島は文部省に仕えたかもしれません。歴史の論作文ではありませんが、考察してみる課題として重要なことをAskさんのこの論作文は含んでいると評価します。問題意識にあふれています。July 15,2005

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