私の目指す教師像

Askさんの投稿

 私のめざす教師像とは、生徒全員に対して、最大限の
可能性を「引き出す」教育のできる教師である。「教育
」は本来、この「引き出す」という意味の語源からきて
いるという。これは当然といえば当然のことで、教師に
よる直接的指導・伝達によってのみ生徒に能力が身につ
くのであれば、生徒は常に教師以下の能力しか持てない
ということになる。理想の教師とはそうではなく、無限
の可能性を持つ生徒を自分以上の人材として育てあげ、
社会へと送り出していける人物ではないだろうか。
 方法として、何よりも教科指導の良質さは欠かせない
。教師の力によるところの大きい授業は、学習に対する
生徒の興味を喚起し、意欲を持たせる最もよい機会であ
る。この興味や意欲といった生徒自身の前向きさこそが
、生徒の中の力を引き出し、未来の選択肢を大きく広げ
てゆく。そのことをふまえ、現場の教師は、時代や世間
の風潮にただ翻弄されるのではなく、常に自校の生徒に
とって何が最も大切なのかを考え、学力の維持・向上に
努めなければならないだろう。
 私の母校の校祖、新島襄は、自由を求めて国外逃亡し
、アメリカで勉学を積んだ。そして帰国後、どれほど熱
心に文部省役人への就任を求められても、「私一人が今
社会でできることは限られている」と、あくまで私立大
学建設にこだわり続けたとされている。当時中学生だっ
た私はこの話を聞き、非常に感動し、また改めて校祖に
対して尊敬の念を抱いた。出世を拒んででも自らが最前
線にいようとしたその姿勢を、私も教育者として常に忘
れずにいたい。
 教師自身が主役になる必要はない。あくまで縁の下の
力持ちとして、将来国の核となる人材を何百何千と輩出
することによって、大規模な社会貢献のできる指導者で
ありたい。この理想像に近づくために、私自身、今後も
努力をたゆまぬ覚悟である。教育は日本を変えると信じ
ている。

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