やさしさとたくましさ

はなちょんさんの投稿へのコメント

 私が生徒に伝えたいことに、「やさしさとたくましさ」が
ある。人を敬う心、人に感謝する心、自然を愛する心が
「やさしさ」であると考える。そして、風邪などの病気
に負けない体、逆境に立ち向かっていく気持ちが「たく
ましさ」だと考える。
⇒やさしさ=徳育的なもの、たくましさ=体育的なものであると同時に精神的なもの、と捉える捉え方はひとつの考え方として肯定できます。
 私は小さい頃からスイミングスクールに通っていた。
                     ⇒ここは、「通っていた」よりむしろ「通っている」ではないでしょうか。「小さい頃から」の「から」を受けるとすれば、現在進行形だと思われるのです。
私は、そこで「やさしさ」を学んだと確信している。
中学生の時、コーチが私たちに周りのことに感謝する
よう私たちに注意をした。水泳ができるのは誰のおかげなのか、
毎日食事をすることができるのは誰のおかげなのか、世
界を見ると自分たちと同じ環境にいる人はどれぐらいい
るのかということを話された。私はその話を聞いて、人
は一人で生きているのではなく、周りの人やものに支え
                    ⇒たしかに「もの」なんですけど、他の表現はないですかねぇ。
られて生きているのだと学んだ。そして、自分たちより
貧しい環境で生活をしている人がいる中で、私たちは恵
まれた環境の中で生活していることに感謝をしなければ
いけないなと強く心が打たれた。
      ⇒ここの「強く心が打たれた」は微妙に不自然です。なぜなら、ふつう、「心を打たれる」と表現するものだからです。とすれば、「コーチの言葉あるいは諭しに心を打たれた」という意味内容のことを書けばいいでしょう。ちなみに、「反省」と表現するのはいい過ぎですかね。自分の生まれた環境は、選択できるものではありませんから。
 心も体も病気に負けないことは、毎日を楽しく有意義に過ごす
ため必要である。そのために、私は、生徒には、体育から部活
動まで幅広活動をしてほしい期待している。しかし、私が求める「
たくましさ」は、つらいことから逃げないで、立ち向か
う勇気である。私は、生徒がつまずいた時に側で応援を
し、時には、私から困難な問題を投げかけて、一緒に立
ち向かう。そうすることでれば、社会に出てもいろいろな多様な
困難やハードルに挑戦をしするファイトを持てる。壁にぶつかっても立ち向かう強い心を生徒に
伝えたいるのが私の仕事である
 このように、生徒がどのような立場にいるのかという
ことを生徒たちで考えることで、学校生活を過ごす上で
現れる壁を生徒と一緒に打破することで、「やさしさと
たくましさ」の心を持った生徒を育ててきたい。私は、
⇒この文章は、表現が悪いです。いいたいことが複数あって、ねじれてつながっているので、意味がわかりにくいです。読み返してみてください。「このように、生徒が自分のおかれた立場を自覚し、学校生活を過ごす上で現れる壁を生徒と一緒に打破し、『やさしさとたくましさ』の心を持った生徒を育てていきたい」とすべきでしょう。ただ、これでも、文頭の「このように」の指す意味がわかりにくいです。いっそこれを削って、「生徒が困難を乗り越える主体になるように、学校生活上に現れる壁を生徒と一緒に打破し、『やさしさとたくましさ』の心を持った生徒を私は育てていきたい」とでもしましょうか。「生きたい」は変換ミスでしょうね。まず、鉛筆持って書いてください。
このことを実現するために日々の向上を惜しまない。
⇒やさしさとたくましさの両立、および、両者の関連性について最後にまとめてもいいと思います。Aug.25,2005

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