21世紀の教育について

elmoくんさんの投稿へのコメント

 核家族化の進行により、地域と家庭間の付き合いが薄
            ⇒ここは、地域と家庭とのつながりが薄いということをいいたいのですね。地域に溶け込む家庭が少ないということですね。とするなら、「付き合い」という言葉を使うより、家庭が地域から逃げ出している、あるいは、関係性を薄めようとしているというように書くとどうでしょうか。
れ、子どもが様々な人と接することが少なくなってきて
いる。それに伴い、社会性の未熟な子どもが増える傾向
にある。社会性を身につけることは、人間関係をうまく
形成するための基盤であり、21世紀に求められる教養
のひとつであると考える。私は、子どものよりよい人間
⇒これは、いつの時代でも変らず価値あるものとして捉えるべきであり、21世紀に限定しなくてもいいのではないでしょうか。
関係の形成のために、以下の事を中心に実践していく。
 まず、最近の子どもの実態として、コミュニケーショ
ン不足があげられる。適切な人間関係を形成するために
は、自分の意思を相手に伝え、相手の思いを的確に受け
止める能力を必要とする。私は、朝の会や帰りの会で、
コミュニケーション能力を高める取り組みをする。例え
ば、班毎に自分の昨日あった出来事やがんばったことを
話す時間を設ける。自分を相手に伝える大切さ、相手を
知る大切さを学ばせる。また、この中で、自分勝手に話
⇒「知る」でもいいのでしょうけれども、「理解」の方が無難です。ここらあたりで段落を設けましょう。
を進めるのではなく、相手の反応を確かめたり、相手の
話に耳を傾けたり思いやりの気持ちを実感させる。内向
的で人前で話すのが苦手な子どもには、事前に話すこと
を考えて書き留めて練習する機会をもったり、教師が読
                     ⇒ここは、「教師」ではなく、「私」です。こうした環境作りを徹底するのは、elmoくんさんなのですから。
み上げるなどの配慮をし、話やすい環境作りを徹底する。
 次に、自分と違った立場の人々と交流できる場をたく
       ⇒この自分と立場の違う人との交流は、ちょっとひっかかりました。なぜなら、子ども同士で立場が違うというのも変だからです。大人同士なら、立場が違うのはよくあることだし、そう表現してもいいでしょう。子どもの存在が「教わる」存在であるとすれば、「立場が違う」との表現は、いい過ぎかもしれません。
さん設ける。例えば、休み時間に他学年の子どもと定期
⇒「たくさん」は書き言葉としては幼稚なので、避けましょう。「できるかぎり提供する」でいいでしょう。
的に一緒に遊ぶ機会を作ったり、総合的な学習の時間に、
幼児、高齢者、障害を持った方々との交流を深める。直
       ⇒「障害を持った」は、ダメな表現です。「障害のある」です。もっといえば、「障がいのある」がいいでしょう。
接、遊んだり、会話したり、接したりする中で、自分と
の違いを知り、その違いを認め合う。そのことが、相手
の立場を尊重し、相手を思いやることの大切さを学ぶこ
⇒このあたり、内容的に繰り返しになっている感があります。
とに繋がっていくと考える。なた、交流を通して、人と
             ⇒「また」。
接する場合の言葉遣いについても考えさせる。丁寧な言
葉や口調によって、相手に与える印象に違いを認識させ、
注意して言葉を使うように指導する。
 以上の実践を中心に、社会性という教養を身に付けさ
せるが、私自身が、子どもたちとの人間関係作りに積極
的に努め、手本となることを絶対に忘れてはならないと
肝に銘じる。
⇒ワタクシが読んで気になったのは、最後のまとめにある「社会性という教養」という位置付けです。社会性は教養なのでしょうか。たしかに中教審でも動的な教養がいわれていますが、elmoくんさんの捉える教養とは、どのようなものなのか、教えてほしいところです。字数制限のある論作文ではそれを説明するのは無理でしょうから、別にまとめておいて下さいね。しかし、全体として、論旨の一貫性や、論理的な文章の構成など、一定のレベルに達しています。評価されるべき論作文でしょう。コメントが大変遅くなりました。ひょっとすれば、もう合格されて、elmoくんさんは、学校に勤務されているかもしれませんね。(Mar.2,2007)

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