私の目指す教師像

知史さんの投稿へのコメント

「人の目を見て話せ」私が小学校5、6年生の時に担
任だった先生の口癖の言葉だった。それまで、自分に何
⇒順番としては、この最初の行は第一段落の最後にもってくるべきでしょう。
一つ自信を持てず、3、4年生の時の担任には「お前は心
の病気だ」と言われ教師への不信感も大きくなっていた
頃だった。5年生のクラス替えになり今度は自分にあっ
た先生であるようにそう心に思っていた。新しい担任は
とても厳しく怖い先生であったがその先生との出会いが
私が教師を志す道へと導いていった。
⇒ここに書かれている「お前は心の病気だ」といわれたことは事実であると思いますが、教師批判になるので控えた方がいいでしょう。反発といいますか、反面教師といいますか、気持ちはわかるのですが、書かない方が無難です。それに、こんないやな思い出はさらりと忘れて、「新しい担任」の先生のことを掘り下げて書いたほうがずっといいです。
 ある日私が宿題を忘れた時にうつむきながら先生に宿
題を忘れたことを言うと、「人と話す時になぜ目を見な
い。お前の考えが分からないだろう」と言われた。確
⇒微妙なところですが、「お前」という表現はやめておきましょう。「君の考えがわからないだろう」としましょう。「お前」呼ばわりは好ましくありません。ワタクシたちの日常生活においても「お前」という言葉を使うのはやめましょう。知史さんがそうだといっているわけではありません。一般論としてやめようということです。先生になってから、児童生徒を「お前」呼ばわりすることは、個として彼らを見ていないことになりませんか。一人ひとりを名前で呼ぶことに、彼らと信頼関係を築く最初のきっかけがあると思います。
かに宿題を忘れたことは悪いことだが、先生は私の気持
ちを知りたかったのだ。今まで、自分の担任がこのよう
に自分を分かろうとしてくれたことなどなかったので、
とても嬉しかった。この時から私は自分の気持ちを出せ
るようになり、なんにでも積極的に取り組めるようになっ
⇒この積極性を与えてくれた記述をもっと詳しく書いてみてください。
た。また、先生は、私にいろいろなチャンスを与えてく
れた。児童会会長への立候補、カナダへの短期留学、学
芸会での舞台上での総責任者など全て先生の助言と協力
              ⇒すべては、「全て」がいいか、「総て」がいいか、平仮名がいいか。ワタクシは平仮名です。
により自分で取り組めたことばかりである。
 このように教師とは生徒が何を求め、何を考えている
のかと言うことをしっかり理解できることが大切である
と思う。「人の目を見て話せ」と私の担任が言ったの
   ⇒「論作文道場」の注意書きでも指摘していますが、「教師は〜である」と記述するのはやめておきましょう。
は、その生徒の気持ちを理解しようと努力し、自分の気
持ちも生徒に伝えたいと言う想いからだったと思うである。そ
して生徒の能力を見極め、その生徒ができることを最大
限活かし協力する。そのことが今の私の教師像と言うもの
を作り上げている。私も自分の生徒に接する時は、「目
       ⇒「教師像を作り上げている」というのは、イイタイコトはわかるのですが、表現を工夫してみましょう。
と目の付き合い」を大事にして、信頼関係を築ける教師
⇒「目と目の付き合い」は、一般的ないい方ではありませんね。ここも表現を再考してみましょう。
になりたい。
⇒注意するべきは上の個別的な指摘でもおわかりのように、否定的な評価、表現をやめた方がいいということです。もっと、積極的に「私は教員としてこれこれこういうことをしたい、それを担任の先生から学んだ、これを活かしていきたい、私の原点はここにある、理想の教師像である」と骨組みを作るべきです。書くべき内容はいいと思いますので、こうした視点から全体を書きなおしてみてください。

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