私の目指す教師像

なるさんの投稿へのコメント

 私は児童一人ひとりとともにあり、ともに考え、とも
     ⇒「ともに考える」、「ともに成長していく」はわかるのですが、「児童一人ひとりとともにあり」というのは、具体的にどういう意味なのでしょうか。なんとなくわかるのですけれど、うまくいいあててください。
に成長していく教師でありたい。そもそも私が教師にな
りたいと思ったのは、小学校の恩師の影響である。
                 ⇒たしかに「影響」でしょうが、ほかの言葉はないですか。
 私は集団の場で発言することを苦手とするおとなしい
子どもであった。しかし、先生の授業では常に全員が挙
        ⇒ここは、「しかし」を使うところなのかどうか、微妙です。
手することを求めており、わからない質問でも「わかり
ません」と反応する決まりがあった。そのため、全員が
               ⇒個人的には、「わかりません」と反応されるのはうれしくありません。間違っていてもいいので、ワタクシの授業=学齢において大学生以上の授業では、何か内容のあることを答えさせるようにしています。「わかりません」があらゆる質問に対する免罪符になるのはダメだと思うからです。思考の放棄でしょう。ただし、小学校においては、なるさんのようなケースがありますから、それもひとつの手段かもしれません。
発言できる雰囲気が作られており、引っ込み思案の私で
も自分の意見が言えるようになるまで時間はかからなかっ
た。また、その雰囲気が作り出された要素は、机を教室
の中心に向け壁に沿ってコの字型に2重に並べるという
独特の配置
にもあった。これにより、児童はお互いの表
⇒下線を引いたところは、「さっと読んでさっとイメージできる」かどうか。再考の余地ありです。
情を見ながら学び、わからないところを教え合えるよう
⇒「児童」ではなく「私たち」でいいと思います。
になっていた。そのため、「わからない」ことは恥ずか
しいことではないという認識ができあがっていた。私は
このように全員が授業に主体的に取り組むことを重視し、
⇒「このように」とするよりも「心理的にも、環境的にも、全員が授業に・・・」のほうがいいでしょう。
児童が互いに助け合える雰囲気を持つクラス作りが出来
                       ⇒平仮名にしましょう。
る教師を目指す。
 また、先生のことを考えるときに必ず思い出すことが
ある。私はクラスの中でも目立つ子どもではなかった。
ある時自分でも理由がつかめないが勉強が嫌いになり、
少しずつ成績が落ち始めた時期があった。そんなそうした時、先
生は放課後誰もいない教室に私を1人呼び「最近何かあっ
たのか」と聞いて下さった。私は自分の些細な変化に先
生が気づいて下さったことに驚いたが、理由などなかっ
たため適当に答えることしかできなかったほかなかった。それからし
ばらくして先生は「みんなが直接言いにくいことを書い
てください」と日記を始めた。私のように言いたいこと
を言えない子どもに対する配慮だと思い嬉しかった。そ
して、放課後日記を出すと次の日には赤いペンで必ず返
事が返ってきた。
⇒最後の行は、「しかも、放課後提出した私たちの日記は、必ず次の日に赤いペンで返事が書かれていたのである」としましょうか。
 今もこの日記は私の大切な宝物である。先生は忙しい
毎日の中でクラス全員の日記を読み、稚拙な表現を汲み
取ってあたたかい言葉で答えて下さった。私の理想は今
もこの恩師である。この先生のように児童のことを一番
⇒「私の理想はいまでもこうした恩師の教育姿勢にある」としましょうか。
に考え、児童とともに歩んでいける教師でありたい。
⇒「私は集団の場で発言することを苦手とするおとなしい子どもであった」という記述と、「私はクラスの中でも目立つ子どもではなかった」という記述とが、だぶっている感じがします。両者はなるさんの当時の性格に起因することですから、最初の段落にまとめておいてもいいと思われます。それから、「恩師」に関してなんですが、ちょっとあげ足とり的にいうと、少なくとも質問に「わかりません」と答えさせることと、「言いたいことを言えない子どもに対する配慮」とは矛盾するのではないでしょうか。しかし、教員との交換日記は児童生徒個々人を知る=児童理解、生徒理解のよい方法です。児童理解にはそのほか、面接法など多様な方法論がありますので調べておきましょう。論作文全体としては、段落構成がしっかりしており、よいと思います。Dec.27,2002

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