21世紀の教育について

泰輔さんの投稿へのコメント

 21世紀は、携帯電話やコンピュータの普及の速さに現
れているように、変化の激しい時代である。中教審答申
にもあるように、このような時代だからこそ「生きる力」
を持った人間の育成が求められている。
⇒この書出しでは、下の経験談と結びつかないのではないでしょうか。科学技術の加速度的な発展も21世紀を特徴付けることであるのはまちがいありません。しかし、看護師に叱責された経験など書くのであれば、「高齢化社会の中でいきる21世紀」を論作文をはじめるにあたっての枕言葉にしたほうがしっくりすると思いますよ。
 私は中学2年の時、病院で高齢者の介護体験をした。
病院に行くまでは、高齢者の方々と将棋でもして終わる
だろうと気楽な気持ちでいた。しかし、我々の面倒を見
てくれた看護師の考えは違っていた。まずはじめに我々
1人ひとりを1人の看護師として扱うと言ったのである。
いろいろな作業を行う中、緩慢な動きをしている生徒は、
⇒様々な、あるいは、多様な、としましょう。
この看護師から叱責されることもあった。わたしは、こ
⇒どのようなことで叱責されたのか、1行でいいので説明を付け加えましょう。
の体験を通して、社会の厳しさと仕事をやり遂げた充実
感を味わうことができた。
⇒ここの「やり遂げた充実感」も内容がわからず、読み手は想像するほかありません。これでは訴える力が半減します。したがって、具体例を簡潔に盛り込むことが必要になってきます。
 社会体験活動は、「生きる力」を育む上で重要な要素
になる。私は民間企業に就職した時、この介護体験があっ
たため、企業の厳しさが苦にならなかった。また、多く
の看護師の働く姿を間近で見ることによって、自分の将
来を考えるきっかけにもなった。したがって、総合的な
学習の時間などを活用し、介護体験などの社会体験活動
を積極的に取り入れていく。
 しかし、「生きる力」を育むのに、社会体験活動だけ
させれば良いのだろうか。私は、授業の中でも「生きる
⇒ここで、自説を批判しているのは、困りものです。上の看護体験と結びつくように書かないと、整合性がないでしょう。つまり、社会体験活動を実践していくためにも、コミュニケーション能力が必要となってくるという文脈で語らないと論が論にならないのではないですか。看護体験だって、高齢者に対し、「ボソボソ」ではなく大きな声で「自分の意見」あるいは指示を適確に伝えないといけないはずです。言葉をしっかり表現できる能力、相手のいっていることを正確に捉える能力、これをたとえば国語の時間で生徒は養成するわけで、そこで培った表現力が総合学習の体験活動に生かすよう指導することがあるべき姿でしょう。
力」を育んでいく。例えば、自分の意見をまとめさせ発
⇒ここでの記述は、誤解を招くかもしれません。総合学習の場だけが、「生きる力」を育む時間ではないですよ。教科教育、生徒指導にかかわらず、学校教育活動全体を通して「生きる力」を育成していくことが望まれているのです。
表をさせることである。社会人になった時、自分の意見
を小さな声でボソボソとしか発言できないようでは生き
ていけない。大きな声でしっかりと自分の意見が言える
よう生徒に発表を行う場を多くもうけてやる。
         ⇒「発表の場を多く設けたい」くらいでしょうか。
 21世紀の教育の根本は、生徒の将来に対する希望にあ
⇒この文章よくわかりません。
ると考えている。私は介護体験の時、看護師の厳しさと
優しさを兼ね備えた姿に感動し、大人への憧れを抱いた。
私自身、1人の大人として、生徒が将来に希望が抱ける
教師になるため、日々修養に励んで行く所存である。
⇒内容的にいいところがありますので、赤で注意した事項を再考し、書き直してみて下さい。そのとき、2000字位で書いて、削る気持ちで書いてみましょう。Feb.7,2003

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