私の目指す教師像

真冬さんの投稿へのコメント

 私は、確固たる教育理念を持ち、それをいかなる状況
においても貫き通す教師を目指す。
 そのためには、どういう生徒にしたいのかということ
を第一に考えなければならない。
⇒「どういう生徒にしたいのか」という表現は印象悪いでしょう。理想の「生徒像」を教員が持つことは悪いことではありません。しかし、そこから、指導に熱心なあまり、「型にはまった生徒像」を無意識に教員自身が自分の中に作ってしまい、それ以外は認めないとなりがちです。そうではなく、1人ひとりの個性に即し、その生徒の持つ「よいところ」、「可能性」を引き出し伸ばす教員の「支援」が必要です。細かいところですが、表現に注意しましょう。
 私が目指す生徒像は、自分の能力、可能性、価値に気
付き、自ら主体的にそれらを伸ばそうと懸命に生き抜く
人間である。すなわち「自立・自律型人間」である。こ
のような生徒を育てるためには、以下のような3つの教
育理念が不可欠と考える。
⇒ここまでの段落をひとつにしましょう。基本的に200字でひとつの段落を作るようにして下さい。とすると、800字では、4〜6段落で構成しましょう。ところで、課題は「教師像」なのに、なぜ「生徒像」を示すのですか。課題の捉えまちがいは、致命傷になります。おそらく、ここまでで採点官は読むのをやめるでしょう。すなわち、誤読される可能性があるということです。書出しの「確固たる信念」を持った教師(像)よりも、「生徒像」に反応してしまうのです。構成に難ありといわざるをえません。
 第一に、教師はその教科のスペシャリストでなければ
ならない。その指導技術の果てしない向上と追求を常に
行い忘れず、生徒一人ひとりに充実感と達成感を持たせる。例
えば、体育の授業において持久走を行うとしよう。文字通り持久
力を養うのだが、その効果が分かりにくい。そこで視覚的によくわかるように心拍
数を計り記録していくのだ。持久走が苦手な生徒でも個人
差なく自分の目標達成のため、授業に取り組むことがで
きる。
 第二として、価値観教育である。まじめの崩壊、自己
       ⇒「価値観教育」のような造語は使ってはなりません。「ふつうにわかる」言葉、語彙を用いて文章を作成しましょう。「まじめの崩壊」は、「まじめな姿勢や努力を冷ややかにみる態度」でしょうか。
中心、自己完結などというふうに価値観が変化し、学校
               ⇒「価値観が変化し」とありますが、「変化」という言葉を使うならば、「AからBへの変化」というように、化学反応式じゃないですけれど、両方を明示するべきです。それが正確な書きかたでしょう。
を教育の場として認識していない生徒が増えている。ま
た、学校生活に刹那的な目的のない楽しさを求める。そ
いったした間違った価値観を正しい方向へ修正し、高め
いく必要がある。目的のある楽しさ、なぜ学ぶのかを理
解させていくためには、生徒とのコミュニケーションを
大切にしなければばらない。
⇒ここは、「たとえば文化祭の成功など、学校における多様な目的を達成する過程において楽しさを見出させ、また、教科を学ぶことの喜びを生徒に自覚させるには、生徒たちと私が、とことん対話を交すことが前提となろう」でどうでしょうか。
 第三は、態度教育である。間違った言動を即座に正し、
     ⇒この「態度教育」も造語です。あるいは、ワタクシの勉強不足で、答申などの文書に出てくる言葉なのでしょうか。
人としての礼儀、礼節を当たり前に実践できるように指
導する。そうすることにより、基本的生活習慣を身につ
              ⇒「基本的生活習慣」ではなく、「きびきびとした日常生活」くらいでいいでしょう。「基本的生活習慣」だと、早寝早起きの意味が濃いです。
させることができ、心身ともに健全な学校生活を送ることができる
のである。
 以上に挙げた3つの教育理念を持ち、それを貫き通す
ため、さらに細分化していき、実際の指導にあたりたい。
 最後に、これらを実践していく上で、重要なことは、
教師自らが生きた手本となり、言葉だけでなく行動、態
度で生徒に示していかなければならないということである
私は、そのような教師を目指し、日々研究と修養に励む
覚悟である。
⇒かなり厳しく書きましたが、伝わるでしょうか。というのは、言葉というものは、いいたいことを精魂込めてかいても、なかなかに伝わりきれないものだからです。小林秀雄でさえも、「誤解されない文章など、文章ではない」というようなことを述べているほどです。1つひとつの言葉を吟味して書いてみましょう。Feb.8,2003

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