21世紀の教育について

なるさんの投稿へのコメント

 現在、特に若い世代において公私の場を問わず自己中
心的で思いやりにかける行動が目立つといわれている。
⇒内容としておかしくはないですが、「自己中心的で」と「思いやりにかける」との二つが行動にかかっており、くどさを感じさせます。
私はそのような観点から、教科内容指導はさることながら協
⇒ここは、「私はこうした現実を鑑み」としましょうか。
調性と他人に対する思いやりをもつ心を育てることが21
世紀に求められている教育であると考える。このような
人間性を養うために児童の自主性を生かした授業を行い、
児童に自分の考えを持ちながらも、他人の意見に耳を傾
ける態度を育てていきたい。
⇒たんに「児童の自主性を生かした授業」とすると、「教科指導はさることながら」と齟齬しますので、「学校生活全体で養ってきた道徳性を授業にいかした指導を行ない、」としましょうか。
 たとえば、総合的な学習の時間に校外へ出たとする。
児童は木や虫など様々なものに興味を示し、疑問をもつ
だろう。ここで教師が児童の持つ疑問に即座に答えてしまうと、
       ⇒主体はあくまで「私」です。「教師」は使わないように。
児童は深く考えずその知識を得るにとどまってしまう。しかし、児
       ⇒従来型の授業になるということですね。
童が自らその答えを探すために努力するならば、その過
程において様々なことを得ることができる。それが木や
虫などの名前であれば図書館を利用することやであろうし、利用する
ためにはルールがあることを知ることができる。また、
             ⇒たんに「知る」ではなく「理解しなければならない」でしょう。また、「図書館の活用の仕方」と書いたほうが、私語はいけないなどの「ルール」だけでなく、「調べ方」も含めた表現になりますよ。
グループ活動であれば自分の意見を言うこと、他人の意
見を聞くことを覚えることができるであろう。ここでの
 ⇒ここは文意がわかりません。覚えるとはなんですか。
教師の役割は、児童が試行錯誤を続ける姿を見守り、時
には助言を与えながら、児童主体性を生かせるように
することである。このような試みは、総合的な学習の時
間だけでなく、教育活動全体を通して行っていく。
⇒ここまで読んで、採点官は、「なぜ最初に自分勝手な児童が多い風潮と書き出したのに、総合学習の指導を書いているのだろう」と疑問を持ってしまうでしょう。心の豊かさの養成と、主体的な学習への取り組みとでは、開きがあり過ぎです。
 私は、自己の生き方に責任を持つものは他人を思いや
ることができると考える。自由と責任、個と公のバラン
スが欠如している若い世代は、自分自身のあり方が明確
にもてていないのではないだろうか。そこで私は、自分
自身に責任をもち、自己実現のための能力をもつ人間を
育てていきたい。それは、中教審答申にある自ら学び、
自ら考える力を育てることであると考える。そのために
は児童の探究心や発想力、想像力といったものを大切に
し、問題解決を行える能力を育てていくことが重要であ
ると考える。
⇒最後の段落は1つにまとまっていますので、これはこれでいいでしょう。総合学習でもいいと思いますが、他人への思いやりを育てる授業をしようとするならば、「木や虫」に興味を示し、疑問を持つ、という展開を書くのではなく、道徳教育と結びつくような他の授業内容に書き直してみましょう。全体の構想を箇条書きにしてから取り組むことを望みます。Feb.27,2003

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