いのち

宏さんの投稿へのコメント

 科学技術の発達により、テレビやテレビゲームなどに
よってバーチャル体験をする機会が増えてきた。それら
    ⇒「科学技術の発達により」というところは、ちょっと大げさですかね。
は、「いのち」を軽んじるような内容のものが多い。い
                       ⇒確かに命を軽んずるものもありますが、断定は避けたほうがよいでしょう。
まの子どもたちは「いのち」の重さを感じる機会が減っ
てきている。それが残酷な少年犯罪や悪質ないじめにつ
ながっているのではないかと思う。私は、生徒一人ひと
りに「いのち」の大切さを伝えていく。
 私は、心から「いのち」の大切さを理解できるよう
に、生徒一人ひとりを大事に見守っていく。
                       ⇒この1行の段落は上の記述とほぼ同じ内容なので削っていいでしょう。あるいは、上の段落に組み込む形で、圧縮して書きこんでください。
 私は小学生のころ、学校が終わると家の近くの田んぼ
でいつも野球をしていた。ホームランを打つと隣の家に
はいってしまうほどの田んぼであった。隣の家の庭にボ
          ⇒「田んぼ」という表現は避けたほうがいいのですが、それにかわって、「田」だけなのも寂しい表現だし、「広場」あるいは「空き地」でいいのじゃないかな。「田んぼで野球」というのも、よく考えると変だしね。「ホームランを打つと隣の家にはいってしまうほどの田んぼであった」というのは、意味がよくわからないですね。正確に書きましょう。それだけ「田んぼ」が狭いということがいいたいのかな。
ールがはいるといつもその家のおじいさんに怒られてい
た。ある日、いつものようにボールがはいってしまった。
しかし、いつもの怒鳴り声が返ってこなかった。翌日、
祖母からおじいさんが亡くなったことを知らされた。 私は、怒られるたびにうるさいと思っていた。しかし、
おじいさんの「死」を聞いたとき、怒鳴り声が恋しくな
った。また、ボールが家にはいるとすぐに怒られていたと
いうことは、いつも私たちがけがをしないように見守っ
てくれていたのではないかと思った。「死」に直面した
と同時に、大切にされていたことに気づき、泣いてしまっ
たことをいまでも鮮明に覚えている。そのとき、私は、
「いのち」の尊さを知った。
             ⇒このあたり、創作に走っているように読めるのはワタクシだけでしょうか。宏さんをよく知るワタクシですらそう感じますので、採点者はどうでしょうね。微妙なところです。宏さんが作り話をしていないことをワタクシは理解してますが、この文章を第3者がどう見ており、判断するかということは、また別の問題です。
 「死」というのは、意図的に出会わせることはできな
い。しかし、私たち教師は生徒一人ひとりを大事に見守っ
⇒この文章は少し表現がおかしいですね。意味がわからないので訂正するのも難しいですが、「私たち教師を目指すものが、生徒の目の前に、現実の「死」を示していのちの尊さを理解させることはできない」ということなのかな。
ていくことはできる。「大事に見守る」とは、生徒の欲
         ⇒接続詞の「しかし」の意味がぼやけています。
求や不満をすべて受け入れるということではない。時に
は厳しく叱ることもある。それは生徒のことを本気で考
えているからこそである。私は、生徒一人ひとりをかけ
がえのない人間として扱い、粘り強くあたたかい目で見
守っていく決意である。
  ⇒この最後のまとめの段落を読んでも、いのちの大切さをテーマとして書いてきた記述との関連がわかりづらいですね。 「大事に見守る」というのは、おそらく、文中に登場する、いまでは怒鳴られたことにさえ懐かしさを感じる「おじいさん」のとった態度だと思われるのですが違いますか。宏さんも教員としての立場から生徒を「大事に見守る」といっても、それは「おじいさん」の「見守る」とは違うと感じられるのです。両者を結びつけるのには無理があるでしょう。そういう意味で、構成に難があります。もちろん、ワタクシの読解力がおぼつかず、「そういう意味で書いたのではない」と宏さんはおっしゃるかもしれませんね。しかし、そういう風に読めてしまうということです。今回は、推敲する時間がなかったのかなという印象です。次回に期待しますね。

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