いのち

カミーノさんの投稿へのコメント

 いのちは尊いものだというのは、誰もが知っているこ
とであろう。しかし現実には戦争はなくならないし、日
本では自殺が増加している。このような世の中において
                  ⇒2行目にあるように、「世の中」よりは「現実」のほうが適当でしょう。しかし、最初の段落で戦争や自殺など、いわば「ドギツイ」いい方は、避けたほうがいいかもしれません。
私は児童に知識や頭の中だけの理解ではない、いのちの
⇒「知識や頭の中だけの理解ではない」は、「表面的な受けとめ方でない、いのちの大切さや尊さを心の底から感じてもらいたい」でどうでしょうか。
大切さや尊さを知ってもらいたいと考えている。そのた
めの方法を具体的に示してみる。
 まず児童にヒヨコやミニトマトのような、生まれたて
⇒この1行は微妙に不自然です。動物と植物について1行で書こうとせず、分けて書けば読み手の混乱を避けられます。それから、「私は小学生の頃に学級の取り組みとして多くのイモムシの飼育をした」云々の自己経験を先に示し、それから教員としてカミーノさんが実践したい「ヒヨコ」あるいは「トマト」の栽培について描いたほうがいいです。
の動物や、植物ならできれば種から飼育栽培する機会を
与える。扱いが容易で、成長の度合いが大きいため手ご
たえが感じやすく、かわいらしく愛着が湧きやすいもの
がよかろう。実際に生きている姿を見たり触れたりして
いのちの存在を確認し、いのちの暖かさと力強さを肌で感じさせ
る。愛情と責任を持って飼育や栽培に取り組むことを通し
自分がいのちを守り、育てるのだという自覚を持たせた
い。こうした実践は生活科や総合的な学習の時間を中心に行
い、いのちの尊さについては道徳の時間で深く掘り下げ
ていく、その融合を目指す。
 私は小学生の頃に学級の取り組みとして多くのイモム
シの飼育をしたが、ほとんどのイモムシは寄生虫におか
されていたため、成虫になったのはたった一匹であった。
そのときに感じた、サナギが死んで日に日に黒く変色し
ていく時の悲しさや、サナギから出てきたアゲハチョウ
を見た時の感動は今でも強く覚えている。この時に私が
                   ⇒この文章も、一読してわかりずらくなっています。「私はいのちのはかなさや力強さをおぼろげながらこの体験から学び、、そして、いのちを育もうとする愛情が大きいほど、それを失ったときの喜びや悲しみもまた大きいことを知った。こうした感性を子どもに学びとらせる経験が、人間性を豊かにするのである」でどうでしょうか。
感じたいのちのはかなさや力強さ、かける愛情が大きい
ほど喜びや悲しみもまた大きいことを知るには、経験か
ら学び取るのが一番良いと考える。どれだけ小さい生き
物だとしても、そのいのちは人の心を揺さぶるほどの大
きな力を持つことを知ってもらいたい。
 以上のように、児童にいのちの存在に気付かせ、喜び
や感動、悲しみを通じて、その素晴らしさや大切さ、尊
さを体で感じられるように支援を行い、児童ととも私自
身も「いのち」について深く考えていきたい
う決意である
⇒内容的に訴えるところがありますので、あとは構成と表現力ですね。ただ、「いのち」というテーマでは、カミーノさんと同様の手法で論作文を書く方が多いので、そうした受験生とどこまで「差別化」をはかれるかが気になります。欲をいえば、斬新さが必要でしょう。しかし、斬新さを求めてもなかなかに受験生には難しく、「どんぐりの背比べ」となるのが実情でしょうか。表現力については、文中で注意しています。いいたいことをいっぺんにいおうとするのではなく、いわば「分解して考え、表現する」のが肝要です。「同様の手法」を用いた多くの論作文があったとしても、読みやすい、文意がはっきりしているものは評価が高くなり、目に止まる率もアップするといえるでしょう。Apr.13,2003

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