土佐の巻
Apr.2,2002〜Apr.3,2002

まず、竜馬の史跡に触れる


 宿に車をあずけて、まずは近場の散策です。明治維新の香り高い土佐の地、史跡が目白押しですね、さっそく「土佐維新歴史文化道」を歩きます。
 高知観光の出発にふさわしく、城西館のすぐ横に、坂本竜馬の誕生地がありました。そこに、下の写真に見える石碑が建っています。このあたりの地図はこちらを参照してください。
  6代目才谷屋八郎兵衛の長男を兼助といいます。後に述べるように、彼が郷士となって、分家します。その分家3代目平八の次男(5人兄弟の末っ子)が竜馬です。
 これがその石碑です。ビルの谷間にひっそりとたたずんでいます。高知城を見守っているようでもあります。揮毫は、宰相吉田茂です。
 幕末の志士、坂本竜馬(1836〜67)は、武道の人であり、商売に長けた人であり、機を見るに敏な人でした。また、政治理論の人ではなく、政治行動の人でした。郷士の身分にあって、封建的身分差別の苦汁をなめきった竜馬は、自分の道を切り拓くため、剣術を学びます。
 嘉永6(1853)年、江戸に出るまで、剣術の腕を磨いた郷里の道場を日根野道場(日根野弁治が開く)といい、築屋敷の一角にありました。築屋敷とは、鏡川沿いに続く石垣塀の屋敷群のことです。今回、この道場を探したのですが、石碑もなく、わかりませんでした。残念です。
これが築屋敷の石垣の名残です。こうした立派な石垣が、いまも高知の人びとの住まいの一部に活用されています。
 高知歴史道のいたるところにこうした説明の立て札があります。観光客にやさしいですね。
下の写真が鏡川です。
 竜馬も泳いだそうです。この写真は、鏡川に架かる月の瀬橋から撮った一枚です。
  写真には写っていませんが、川の堤防には桜が植えられており、花を楽しむ近所の人たちが散歩していました。
ところで鏡川は、たびたび氾濫したようで、月の瀬橋のたもとには、水天宮がありました。
 これがその水天宮です。じつは、この水天宮の横に河田小龍の塾跡があったらしいのですが、これも発見できませんでした。小龍の塾跡があると思しき場所には、現在の小学生のための「青雲塾」がありまして、そこの生徒に聞いても、小龍の塾跡はわからないというので、すごすごひきあげました。
 ちょうど城西館の前にバス停がありまして、「土佐のご婦人」がお待ちになっております。そのベンチに注目。なんですか、この「学校法人・竜馬学園」とは。高知情報ビジネス専門学校・医業福祉専門学校らしいんですけど、定かでありません。ご存知の方いらっしゃれば、連絡ください。
 こちらの「土佐のご婦人」は竜馬学園の生徒さんではないでしょうから、この学校について、たずねませんでした。賢明な判断でしょう。
               
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