土佐の巻
Apr.2,2002〜Apr.3,2002

才谷屋は喫茶店になっていた


 坂本家の祖先は京都に発し、土佐における始祖と目される太郎五郎が、土佐の長岡というところに移り住み、百姓として一家を構えました。その後、高知城下にでて、質屋を振り出しに、酒造屋として成功したのです。その屋号を才谷屋といいます。
 新地開墾の褒章として、土佐藩の許可を受け、坂本家が郷士身分になったのは、18世紀の終わりのことです。つまり、町人が郷士になったのです。先に述べましたように、この郷士身分に竜馬は苦しむわけですが、身分制度の中で生きる人びとにあっては、その壁を越えて侍身分になることは悲願だったといえるでしょう。
 こちらが、現在の才谷屋跡地にある喫茶店です。今回は、下の竜馬の写真のように、コーヒーを飲みませんでした(現・上町3丁目)。近所の人びとに親しまれている様子の喫茶店でした。不謹慎でしたが、外からのぞくと、結構お客さんがいましたよ。値段見てくるの忘れちゃいましたな。いかんね。
 なかなか、人を喰った宣伝ですね。幕末、本当に竜馬がコーヒーを飲んでいたかのように思わせます。おもしろい看板ですねえ。きっと、店のご主人が才谷屋や竜馬についてウンチクを語ってくれるのでしょうね。みなさま、教採に合格したら、是非、高知に出かけてみてください。
 才谷屋跡から歩いて5分、近藤長次郎邸跡があります。
 のちの上杉長次郎、饅頭屋の息子です。高島秋帆のもとで砲術を、勝海舟からは航海術を学びました。竜馬とは、亀山社中、海援隊の仲間です。
 竜馬の信頼厚い友人にして片腕だったそうです。ちなみに、長次郎は、河田小龍の友人でもありました。

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